家族関係が複雑になる話
1950年代に大流行した母物映画のうちの一本[(http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20080123/1201042692:title=「三人の母」を紹介]したけれど、1960年代には新時代の母物ともいえる「氷点」が大流行。*1
映画「三人の母」は産みの母、育ての母、義理(法律上)の母が出てきた。
父親は遺伝上の父と法律上の父が同一人物で、育ての母の夫=育ての父と、二人の父が出てくる。
氷点だと、さらに複雑怪奇になっている。 血の繋がらない兄弟、血が繋がった兄弟等も絡み「三人の母」の三倍以上泣けるかもしれない。
1970年代は山口百恵主演TVドラマ「赤いシリーズ」が有ったなぁ。
中国で放映されたときのタイトルは「血疑」だった。
1985〜6年の「禁じられたマリコ」も、背景に複雑な出自が隠されていたりする。
1985年放送の『受胎の森』(TBSのセゾンスペシャルドラマ)は、当時の生殖技術報道をテーマにしたドラマ。
監督:中野昌宏 脚本 市川森一、竹下景子、樋口可南子、風間杜夫、緒形拳
姉の竹下景子の卵子で、妹の樋口可南子が妊娠・出産したことでおきる三角関係の泥沼を描く近未来(当時)サスペンスドラマだった模様。
1950〜60年代の少女マンガでは母物が、みなしご・継母・赤ん坊の取り違えとかがメインテーマだった。
母物映画の影響ってのもあるだろうけれど、この頃は何故か母物の泣かせる話が大流行。
大雑把な印象なんだけれど、1960年代までの「産みの母vs育ての母」物語では、育ての母のほうが優勢だったのじゃないのか???
養子に関する物語と共に、親子観が何故、そしてどう変化していったのか不思議ではある。
今は、育ての母の苦労が強調されすぎた反動期なのかな?
【参考】
オンラインマガジン「セクシャルサイエンス」2001年11月号
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2001-11/ssNov04.htm
柘植あづみ・石原理の対談より
柘植 日本では遺伝的な繋がりへのこだわりが,戦後になって急激に強まっている。養子縁組の件数も戦後急激に減っているんです。1つには,家制度が崩れたからですね。だから「養子縁組してまで子どもを育てるのは大変だ」ということなんでしょう。その「養子は大変だ」という言説がどこから出てきたのか,それを追求しないとダメだなと思っているんです。
養子縁組して満足している方も,いっぱいいらっしゃるんですよ。里親制度で何人も子どもを育ててる方もいらっしゃる。自分の子どもは独立したので,新たに里子を育てるとか,もちろ里親には不妊の方もいます。
その一方で不妊の方たちにインタビューすると,養子縁組をすごく否定的に見る。「自分の子どもだってまっとうに育つかどうか分からないのに,他人様の子どもならなおさらだ」という言説が出るんです。なぜそうなるのかが,よく分からない。1つは世間です。実際に養子縁組をした方が,周囲のうわさ話になったり,中傷されることもあると語っています。養子だということをご近所に隠すためにに引っ越してしまう方が珍しくありません。
中国語吹き替えの「赤い疑惑」