1970年代から2000年までの極私的回想

1970年代

1970年代のクローンや代理母などの生殖技術は、SFのディストピアものの題材だったような印象がある。
同性愛者同士で子供を持つための技術として、ごく一部のアメリカの「変わり者」が熱く語る夢物語と思っていた。


このころは、代理出産などの生殖医療の進歩は、旧来の家族制度を解体する技術として論じられていたような印象もあるなぁ。

1980年代

1880年代にアメリカを中心にで「代理母ビジネス」が立ち上がる。
精子バンクもこのころじゃなかったか?
難病で死んだ人の遺体を冷凍保存して、未来の医学て治療し生き返らせる研究と同じような次元の話という感覚だった。


「ベビーM事件」は1985年。 日本では「それみたことか」、やるべきではない、という声が大勢を占めていたと感じていた。 アメリカ人のゴーマンの象徴という文脈が強かったような記憶がある。 


小倉千加子セクシュアリティの心理学』(2001)(有斐閣選書)に、こんな事が書いてある。

例えば、生物学的親からの赤ちゃん引渡し要求に対し、代理母がこれを拒み訴訟となったアメリカの事件で、構築主義の立場に立つフェミニストたちは、女性の存在を「産みの母」に還元する本質論・規範意識の強化を恐れて、むしろ社会的強者である生物学的親の立場に立ってしまったのである。


また、母性や養育性を自然なものとみなして生きがいや心の支えにしている多くの女性が、今、不妊で悩んでいる。しかし、構築主義の立場からすると、「女の幸せは出産して母となること」という本質主義的な感情を肯定することはできない。そこで、「お子さんはまだ?」という周囲の言葉に傷ついている女性たちを、フェミニストたちは、「なぜそんなことで悩んでいるの?」と非難してしまうのだ。

ちょっと分かりにくい記述だな。 これはベビーM事件の時、アメリカのフェミニストの多くは依頼者側の母親の側にたち、代理母を批判する側に回った件か、その後に頻発した事件についての解説だろう。
ベビーMを産んだ女性は「女の幸せは出産して母となること」という倫理観を持っていた。 彼女は出産後に心変わりし、というか「錯乱」して契約を破り、赤ん坊と心中しようとしたDQNだと、当初はアメリカの一部の(?)フェミニスト達が非難していた。

1990年代

1990年9月2日NHKスペシャル で「代理出産 〜日本進出をねらうアメリカ 代理母ビジネス〜」が放映される。
このころから、なんとなく身近な事柄になりはじめる。


以下のサイトに1990年前後の日本の「フェミニスト」達の疑問・批判の言説がまとめられている。
http://www.arsvi.com/d/r01.htm
有名どころな論者は批判的だったという印象も。 


代表的と思われるのを引用。 

  まず第一に、不妊という事実を受け入れ難い現代の女と男の状況をそのまま前提とし、なおかつ、不妊への医療行為によってますます不妊を耐え難いものとしていく。不妊は高い金さえ出せば治るもの、あるいは代行可能なものとなれば、多くの一般大衆には、不妊の惨めさばかりが刻印されるだろう。


  第二に、生命操作技術そのものが、ごく一部の人間のみによって所有されているものだということ、多くの人々にとってははるかに遠いせかいのことだということ、しかも、その操作技術がどこまでも、優秀な(・・・)精子、優秀な(・・・)卵、優秀な(・・・)受精卵、さらには優秀な(・・・)遺伝子を選り分ける方向でのみ使用されるということである。


  第三に、どこまでも「子どもをつくる(・・・)」という操作として生命に立ち向かう時、より優秀な(・・・)子どものためにさまざまな手が打たれ、逆に、優秀でない、「障害」をもつ子どもは、限りなく早期にチェックされ淘汰されるだろう。優生思想の基盤の上に、さらなる優生思想が接ぎ木される。


  第四に、精子提供者とその利用者、卵母細胞(ママ)提供者とその利用者、子宮提供者(代理母)とその利用者、それぞれの関係が相も変わらぬ貧しい者と富める者との対応を示し続けることであろう。

池田祥子
『クライシス』33 『[女][母]それぞれの神話──子産み・子育て・家族の場から』、明石書店、199004、pp.32-44
http://www.arsvi.com/d/r01003.htm

「子供を産んでこそ一人前」という風潮が強化されるだけではないか、優性思想、南北問題という、現在に繋がる論点がこのころ出そろったのかな。
大物というか江原由美子は、このころから今に至るまで反対の論陣を張っている。



このころの上野千鶴子の立場ってのが、あんまり見えてこないなぁ。
上野は、どっちかと言えば「古い家族制度は打破するべし」という人なので、代理出産を容認する傾向が有ったのじゃないか? という予感があるけれど、どうなんだろうな??
こんな言葉を残している。

産みたいときに産みたいだけ産む権利と能力を。産みたくないときに子どもを産まない権利と能力を。産めないとわかったときに、その事態を受け入れる権利と能力を。そして、どんな子どもでも生命として受け入れる権利と能力を。

「リプロダクティブ・ライツ/ヘルス」と日本のフェミニズム」『差異の政治学』(2002年、岩波書店)より(初出『リプロダクティブ・ヘルスと環境』工作舎、1996年205頁)


1990年代には

  • 代理母は、古い家族制度を破壊する技術だ。
  • 代理母は、古い倫理観を強化する技術だ。

二つの見解が推進派・反対派の陣営の中に併存していたような気がする。 4つの立場の意見は噛みあわないまま。



しかし1990年代は、代理母問題よりも優生保護法改正についての活動を目にする機会が多かったな。 その他に歴史問題、セクハラ問題、DV問題を日本のフェミニストたちは論じていたような気がする。


先進国の出生率低下が話題となり始めたのもこの頃。
日本でも、いろいろと論じられていたわけだが…
思えば、このときの10代後半から30代前半の「産まなかった、産めなかった」世代が、2000年以降に高齢で妊娠しにくくなって不妊治療をやっているのじゃないか?