白秋の「邪宗門」

中沢新一の一連の著作や発言が、オウムにどう影響を与えたか、与え続けているかについてが、島田裕巳の「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」で論じられているわけだが…
中沢新一はオウムを総括した「邪宗門」を書くべきだ、という話題も有る。
この場合の「邪宗門」とは高橋和巳の小説のこと。


ところで、北原白秋も「邪宗門」という詩集を書いている。
宮沢賢治が田中智学の国柱会に賛同したということが「憲法九条を世界遺産に (集英社新書)」で話題になっているが、北原白秋もまた国柱会の有力な支持者だった。


白秋の「邪宗門」は、豪華絢爛な言葉でエキゾチックに邪宗の魅力を唱っているのだが、中沢の著作も教義という面だけではなくて、エキゾチックな「邪宗」へのあこがれを駆り立てていた、という面もあるような気がするのだが…

  邪宗門秘曲


われは思ふ、末世(まつせ)邪宗(じやしゆう)、切支丹(きりしたん)でうすの魔法(まはふ)
黒船(くろふね)の加比丹(かひたん)を、紅毛(こうまう)の不可思議国(ふかしぎこく)を、
(いろ)(あか)きびいどろを、匂(にほひ)(と)きあんじやべいいる、
南蛮(なんばん)の桟留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、珍(ちんた)の酒を。


目見(まみ)青きドミニカびとは陀羅尼(だらに)(ず)し夢にも語る、
禁制きんせいの宗門神(しゆうもんしん)を、あるはまた、血に染む聖磔(くるす)
芥子粒(けしつぶ)を林檎のごとく見すといふ欺罔(けれん)の器(うつは)
波羅葦僧(はらいそ)の空(そら)をも覗(のぞ)く伸(の)び縮(ちゞ)む奇(き)なる眼鏡(めがね)を。


(いへ)はまた石もて造り、大理石(なめいし)の白き血潮(ちしほ)は、
ぎやまんの壺(つぼ)に盛られて夜(よ)となれば火点(とも)るといふ。
かの美(は)しき越歴機(えれき)の夢は天鵝絨(びろうど)の薫(くゆり)にまじり、
(めづ)らなる月の世界の鳥獣(とりけもの)映像(うつ)すと聞けり。


あるは聞く、化粧(けはひ)の料(しろ)は毒草(どくさう)の花よりしぼり、
(くさ)れたる石の油(あぶら)に画(ゑが)くてふ麻利耶(まりや)の像(ざう)よ、
はた羅甸(らてん)、波爾杜瓦爾(ほるとがる)らの横(よこ)つづり青なる仮名(かな)
(うつ)くしき、さいへ悲しき歓楽(くわんらく)の音(ね)にかも満つる。


いざさらばわれらに賜(たま)へ、幻惑(げんわく)の伴天連(ばてれん)尊者(そんじや)
百年(もゝとせ)を刹那(せつな)に縮(ちゞ)め、血の磔(はりき)(せ)にし死すとも
(を)しからじ、願ふは極秘(ごくひ)、かの奇(く)しき紅(くれなゐ)の夢、
善主麿(ぜんすまろ)、今日(けふ)を祈(いのり)に身(み)も霊(たま)も薫(くゆ)りこがるる。

  赤き僧正


邪宗(じやしゆう)の僧ぞ彷徨(さまよ)へる……瞳据(す)ゑつつ、
黄昏(たそがれ)の薬草園(やくさうゑん)の外光(ぐわいくわう)に浮きいでながら、
赤々(あか/\)と毒のほめきの恐怖(おそれ)して、顫(ふる)ひ戦(をのゝ)
陰影(いんえい)のそこはかとなきおぼろめき
まへに、うしろに……さはあれど、月の光の
(み)の面(も)なる葦(あし)のわか芽(め)に顫(ふる)ふ時。
あるは、靄ふる遠方(をちかた)の窓の硝子(がらす)
ほの青きソロのピアノの咽(むせ)ぶ時。
瞳据(す)ゑつつ身動(みじろ)かず、長き僧服(そうふく)
爛壊(らんゑ)する暗紅色あんこうしよく)のにほひしてただ暮れなやむ。


さて在るは、曩(さき)に吸(す)ひたる
Hachisch(ハシツシユ) の毒のめぐりを待てるにか、
あるは劇(はげ)しき歓楽(くわんらく)の後の魔睡(ますゐ)や忍ぶらむ。
手に持つは黒き梟(ふくろう)
爛々(らん/\)と眼(め)は光る……


      ……そのすそに蟋蟀(こほろぎ)の啼く……

青空文庫より


「Hachisch(ハシツシユ) の毒のめぐり」なんてのは、洒落にならないなぁ…



北原白秋作詞 万歳ヒトラーユーゲント獨逸青少年團歓迎の歌 flash 




国柱会関連を調べていくと、アナガーリカ・ダルマパーラ(1864〜1933)という人物も気になってくる…
『大アジア思想活劇 〜仏教が結んだもうひとつの近代史〜』佐藤哲朗 著


シンハラ・ナショナリズムかぁ……