東大駒場騒動
前のエントリーで、マックス・ウェーバー関連のことを調べていて折原浩の文章を紹介していたわけだが…
そもそもは、中沢新一の社会学的発言てのは、ウェーバー研究者から評判悪いだろうなぁ、と思って、ちょっと気になって調べてた途中で引っ掛かった記事だった。
もう少し調べてみると、1988年の中沢新一の東大助教授推薦否決騒動(東大駒場騒動または中沢事件)で、一番に反対していたのが折原浩だったんだな。
折原浩氏のホームページを読むと、中沢新一とは絶対そりが合わないだろうな、と思う。
この騒動については、ほとんど知識がないのだけど…
中沢新一を助教授に推薦した西部邁を支持した当時の教官は、蓮實重彦、佐藤誠三郎、公文俊平、村上泰亮、村上陽一郎、芳賀徹、平川祐弘、鳥海靖、舛添要一、松原望、松原隆一郎、大森彌ら。逆に反対した教官は船曳建夫、谷嶋喬四郎、折原浩、見田宗介ら。
西部邁の告発本だと、共産党系と旧新左翼系が共闘して潰した、という話になっているらしい。 西部を支持した人たちは、学際的な社会学研究を目指すという理念で有ったらしいが……学際的というか、マスコミ受けしそうな学者だという印象だなぁ。
派閥党派制とか保守vs左翼な話ではなくて、ポストモダン・ニューアカブームに対する姿勢の違いとか、実証的学問へのこだわりが底流にあるように感じる。 「中沢新一ってのはオカルトじゃないか?」という疑念が、根底にあったんじゃないかな?