もう少しカミーユ・クローデル

意外に早い時期に、作品が日本上陸していたんだな。

外来の音楽家に感謝したい
宮本百合子



 ジムバリスト氏の来朝や、アンナ・パヴロワ、近くパーロー女史等の来られた為め、私共芸術を愛する者は、各自の程度なりに、どの位得る処があったかわかりません。ジムバリストの絃の或る音や、「瀕死の白鳥」、或る小品の美が今も心に生きています。
 フランス現代美術展覧会に陳列されたロダンの彫刻数点、クローデル嬢の作品も、深い感激を与えたものです。
 読んだものの中では、「神曲」、ゲーテの作品数種。
 印象の種類から云えば、まるで其等のものとは異いますが、先達て中、二科にあった「懶画房」? と云う絵。あれが時々思い出されます。あの画面に漲っていた傷心の感、自分が時に苦しむ或る気分が、不思議に柔かい黄色帽となって、椅子にとまった瘠男の頭にのっているような気がしました。
〔一九二二年(大正11)十二月〕
http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/3720_12736.html

どの作品だったんだろうか?
日本に縁が深い「波」だろうか? それとも「ワルツ」?




日本にロダンが紹介されたのは、1907年(明治40)11月号『早稲田文學』の島村抱月の論文が最初。
1910年代には、ロダン白樺派のシンボル的存在になっている。
ロダンの彫刻の実物は、1912年(明治45)に初めて上陸。 それまでは、写真でしか作品を見ることが出来なかった、


カミーユが精神病院に収監されたのが1914年。
ロダンが死んだのが1917年。
カミーユとポールの母親が死んだのが1920年
弟のポール・クローデルが駐日フランス大使となり、来日したのが1921年


ポールは駐日フランス大使としてフランス現代美術展覧会の開催に関わったりしたのだろうか?