オーマイニュースの消滅 4


【豆知識】

 「オーマイニュース」の名前は、1999年の晩秋、呉氏がアパートでシャワーを浴びていた時に思いついた。当時、コメディアンのキム・クンジン氏の「Oh my God」というギャグが流行していた。これがヒントとなった。

本家オーマイニュースの常勤記者

JANJANに2005年4月に掲載されたこの記事は、ちゃんと読まれていなかったような気がするな。
ひょっとすると、一部分だけが変に誤解された読みかたをされてしまっていたのかも。

オーマイニュース」の記事の大半は市民記者が書く。

この部分だけが一人歩きして、妙な幻想と期待が増幅されていったのではないか?
常勤記者の頑張りが有ったことは、日本には伝わっていなかった。


この点に関しては、創刊準備blogでスタッフがはっきりとオーマイニュースはほとんどが市民記者の寄せてくれる記事で成り立ちます。」と明言していたからなぁ。
日本では、最初から理念と実態が乖離というか混乱というか…欺瞞からスタートしている。



本家オーマイニュースの人気コンテンツはどうやって作られていたかとゆうと

●戦術
 少ない体制で「オーマイニュース」が取った戦術は「選択と集中」だった。これは常勤記者の担当。分担としては、市民記者は身の回りの暮らしの話題を書き、常勤記者は編集局の編集方針にしたがって「オーマイニュース」らしい問題を「選択」し、それに「集中」(取材)した。市民記者は多様性、常勤記者はメインの記事を担当する形だ。この戦術は、速報と現場取材にも適用された。「あらゆる問題」ではなく、「オーマイニュース」らしい2、3の問題に絞り、どのメディアよりも早く報道が行われた。結果、「オーマイニュースは速報と現場取材に強い」という評判ができた。

日本のオーマイニュース失敗の原因は、こういった本家のような常勤記者達の存在が無かったことじゃないだろうか。
結局、ひとつもスクープ記事や目玉企画をモノにすることは出来なかった。


韓国のビジネスモデルがそのまま日本で通用しない、というのは呉連鎬代表だってわかっていただろう。
しかし、日本型モデルを作ることに失敗。 
日本版ではサイト開設当初、余所の新聞・通信社のニュース配信記事を、若干手直しして載せるという意味不明なことをやっていた。
日本に集められた編集者が当初目指していたのは「総合ニュースサイト」だったように思われる。


むしろ本家の「選択と集中」戦術を、もっと積極的に取り入れるべきだったのではないか?



まー、いまさらこんな事をかいてもしょーもないんだけど