オーマイニュースの消滅 1

2006年の準備blogの段階で、始まる前から終わっていた。
準備ブログの二つ記事を読んで、「こりゃダメだ」と思ってた。

秋田の事件

一つめは、秋田連続児童殺害について鳥越編集長が書いたエントリー。
先日高裁判決が出て、またワイドショーを賑わせていた事件について、鳥越編集長は6月の準備blogにこういう事を書いていた。

秋田の事件


複雑に入り組んだ人間関係の解明なくしてはこの事件の全面解決はなし得ないんじゃないかと、私には思えるんです。
さあ、こういうときにオーマイニュースの市民記者がたまたまあの藤里町秋田県に住んでいたとすればどうなるか?
私たちはもうそういうシチュエーションで考えています。
既存のメディアとは違う目で見た情報が届けられる!!
そうなれば、私たちの「市民みんなが記者だ」という合い言葉は実現するんですね。それもそう難しいことではないでしょうね。
こう書いていてもワクワクします。

地元の人間にワクワクを期待されてもなぁ。
この記事で、鳥越俊太郎は糞ワイドショーの阿呆コメンテーターでしかないと確信した。

結局の所、オーマイニュースが求めていた「市民記者」ってのは、安上がりな地元の情報提供者でしかなかったのだろう。





「時事問題に詳しいえなりかずき

二つめは、鳥越編集長がえなりかずきと対談した2006年8月の準備blog記事。
これも酷かった。


えなり曰く

「ライス国務長官が就任したとき、日本のことをぜんぜん何も知らなかったって話じゃないですか。日本?、あぁ?あるわね。日本列島ってあるわよね、みたいな」


こういった発言を喜ぶ人、または信じている人が作っているメディアなんか、真面目に読むのは時間の無駄と確信した記事だった。


この記事以降は、オーマイニュースはネタとして、たまに観察するのみ。


2006年

2006年頃は、まだ「市民記者」「ネットジャーナリズム」への欲求が高かったんだなぁと、ちょっと懐かしく思い出す。
既存メディアへの不満、反2ちゃんねる(非2ちゃんねる程度で充分か?)という場が欲しい、リベラル系ブロガーのハブのような場所が必要ではないか、などと言われていた頃だ。
需要が無かったわけではないだろう。


しかし、その期待はことごとく裏切られた。 編集部は、ネットでそういう期待している人達が居ることさえ知らなかったのだろう。
2ちゃんねる以外の方向性をもてないままだったという印象。