なんでもかんでも「テロ」と名付ける軽さ

ちきりん氏のエントリーに、かなり違和感。
今回の国籍法反対騒動を「ネット言論テロ」と表現している。
秋葉原無差別殺人も元厚生官僚襲撃事件も、「テロ」として論じる人が居たけれど、それ以上に不可解な考察だ。

イスラエルで頻発する自爆テロ911も今回のインドのテロもポルポト派の兵士達も文化大革命紅衛兵達、全部をひとくくりにして「不十分な教育と貧困がテロの原因」と、すごく単純な構図を描いている。

テロの経済学

テロの経済学

この本が出た後にも、そういった構図を描くのは、ちょっといかがなものか。

そもそも比較する対象が違う

テロについての超古典的な構図についての話はともかくとしても、それが何故今回の国籍法改正騒動と直接に繋がるのだろうか?


チェーンメール(もしくは、チェーンブログ)、メール、fax大量送付を「テロ」と呼ぶのには賛成しがたい部分がある。 少なくとも「自爆テロ」とは、相当に距離がある。
印象としては、古い左翼運動のパロディを見せられている感じ。
いまのところは、まだ一応は「言論」やデモの範囲内での活動だから、安直に相手を「テロリスト」呼ばわりというのはいかがなモノかな。


こういった反対派像は、実のところ大月隆寛産経新聞コラムに書いていた賛成派像の裏返しでしかない。

この手の御仁は、そういうことで自分のアタマのよさ「だけ」をほのめかしたいのが多数派で、ならばあんたはどうしたいのよ、ってのが見えないか、見えても脳内お花畑全開の「地球市民」的妄想か、「多民族共生」的な逆縁のグローバリズム丸出し。かの「九条教」の「反戦平和」「非武装中立」とよく似ているのは、さて、何か理由があるんでしょうか。

お互いに見当違いのレッテルを張り合っている不毛な話、としか思えない。


今回の騒動を比較検討するとき、何故だかちきりん氏は「後進国」だけしか思い浮かばないみたいだ。 比較検討すべき外国ば、いわゆる先進国だろうに。 つまりはフランスのルペン・オーストラリアの故ハイダー・ドイツのネオナチあたり。 そして中国にも憤青がいる。
そのあたりの話がまったく出てこないのが不思議でしょうがない。