内田裕也が語る「日本語が亡びるとき」

1991年、既に日本語で語ることに絶望しています。




この映画のラストシーンは「I can't speak such **** Japanese」
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wikipediaにはこんなのまで載ってるだな→wikipedia:日本語ロック論争
内田裕也には、ずいぶん厳しい書き方だけど。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で を巡る「文学」の話は、1970年前後に内田裕也が通り過ぎた場所にすぎないんじゃないか?


1971年 内田裕也 曰く

着物を着て演奏しようとか、そんなことは考えていない。サウンドも、ことさら日本調を出したりしたくないが、間のとりかたや強弱をつけることなどで、われわれ独特のユニークなものを創り出していきたい

(ニューミュージックマガジン 71.1「帰ってきた東京キッド 出発したフラワー・トラベリン・バンド」 オフィシャルサイトより)