むき出しのDNA絶対主義

国籍法改正を巡る騒動を見ていると、反対派のみならず賛成派と思われる人でさえもDNA鑑定について、ものすごく評価しているように見える。


遺伝的に繋がっている者だけに親子関係を認めるべきだ、という流れになっているのだろうか?
逆の言い方をすれば「遺伝的に繋がっていない者は親子ではない」ということになる。
このblogでは、成り行きで代理出産関係のことを多く書いているので、そこの部分がどうしても引っかかってしまう。

「遺伝的に繋がった子供が欲しい」という欲望の行き着く先は、究極的には代理出産だろう。


家の継ぎ方

私の父方の祖母は、長男の家に嫁に入り、一女をもうけた。 その後に夫に先立たれ、婿をとって三男二女を産んでいる。
つまり私と父方の家系は、三代前で遺伝的繋がりは切れてる。
それでも、なんとなく「**家」の親族一同という形で、法事などで集まり続けていたりする。


大河ドラマ篤姫」の場合も、篤姫の名目上の親は何人もいるし、名目上の子供もいる。
小松帯刀の家の継ぎ方も、けっこう複雑。



古くから、血の繋がり以外の親子関係は存在しており、その時々でいろいろ融通無碍にやってきているのに、ここ数十年で一気にDNAのみが重視されているのは、どうにも危なっかしく感じる。
「家」というものが崩壊した後に、「遺伝子」という「科学的」に思える概念がすっぽりと入り込んでしまったのだろう。
伝統とかなんとかを声高に叫ぶ人たちでさえ、「DNA」だけを問題にしているように見えるのが、とっても不気味な感じだ。


「科学が進歩したから時代遅れの古くさい法律は改正されるべきだ」という人たちは、もっと科学が暴走したらどうなるか考えてみたことが有るのだろうか?

■「親が3人」の体外受精卵、英大学が作製
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20080207/1202323896
代理出産に関係するかもしれない研究など
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20080121/1200864138