過去の無差別殺人事件(2)

1999年(平成11年)9月8日の池袋通り魔殺人事件

9年前のことだが、えらい昔のような、そうでもないような。
2ちゃんねるができたてのほやほやで、まだブレイク前。 いろんな掲示板がせめぎ合っていた頃。
当然のように「犯人市ね」大合唱という感じだった記憶がある。


その流れを少し変化させたのが、当時MSNジャーナルでコラム連載していた田口ランディ
犯人が、都内の新聞販売店に勤務していたことに注目したコラムを書いた。
自身の二十歳前に新聞販売店に住み込みで働いていた経験をもとに、新聞配達員たちの余裕と希望の見えない生活の描写が評判になった。
彼女が「メルマガの女王」としてブレイクするきっかけになったとコラムだったと思う。

1981年(昭和56年)6月17日の深川通り魔殺人事件

シャブ中が包丁もって暴れたあと、民家に立てこもった事件。
白いブリーフ、白いハイソックス、自殺防止の白い布を銜えさせられ、テレビの前に引きづり出された。


犯行時は覚醒剤中毒による心神耗弱状態で、刑事責任能力が問えないのではないかと言われていた。
「これで刑事責任能力が問えないのなら、誰か殺したいやつがいたらシャブをきめて刺せばいいってことだ」と言っていたのがマンザイブームでブレイク中のビートたけし
あと「軍司のパンツはグンゼ」とか、いろいろネタにしていた。


ちなみに「グンゼ」ネタは、当時写真週刊誌FOCUSに連載されていた藤原新也の指摘を元にしていたはず。
フリチンで立てこもっていたのを捕まえたが、そのまま表に出すわけにもいかず、現場の警官のブリーフをあわてて履かせたのではないか? などと藤原は推理していた。

裁判に向かう車中いる犯人を撮るとき、「川俣さん」と声をかけてみたそうだ。
事件以降、だれからも「さん」付けで呼ばれなくなった犯人を、「人間」として撮るため、そう呼んでみるというコンセプトだった、とのこと。

深川通り魔殺人事件 (新風舎文庫)

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