岡田斗司夫の「ネット・イズ・デッド」論?

昨年ネットで大炎上した両氏の対談が、いろんな意味で凄い。

『オタク論!?ババンババンバンバン♪ネットするなよ?...唐沢俊一×岡田斗司夫
http://www.tsukuru.co.jp/gekkan/

二人とも、昨年の炎上の「いいわけ」というか「弁明」をしている風でもある。
炎上・イジメ・情報リテラシーの話もしているのだけど、かなり問題有り。


岡田氏は、騒動の体験から「ネット論」を書こうと考えているみたいだが…
状況認識も対談を読む限りでは非常に問題が多い。 個人的体験談・印象にたよった痛々しい本になりそうな気がするな。


オタク・イズ・デッド」と同趣旨の「ネット・イズ・デッド」なんだろうな。 「オタク第一世代=貴族」というのとパラレルに、「パソコン通信世代=貴族」という感じかな。
オタク・イズ・デッド」は、結局は同人誌としてのみの出版のようだけど、構想中(?)のネット論はどうするのかな?


オタク・イズ・デッド」騒動初期の参考サイト

2006年5〜6月ころの「オタク・イズ・デッド」騒動。

動物化するポストモダン』で提案した世代論についての補足です。

問題の対談より

『創』2008年2月号「オタク論! 唐沢俊一×岡田斗司夫」【ババンババンバンバン♪ネットするなよ】

岡田 これが今回考えた仮説なんですけれど、5年前まではネットは世界の先端だったわけです。


つまり、ネットで起こることはいつか世界でも起こって、ネットで話されていることが何年かして世間では話されている。
だから、ネット住民たちはネットが世界で最先端だと思っている。この癖が10年くらい続いていて、この5年くらいは思考が完全にそうなっているんだけど。


 だけど、それが最近そうでなくなってきた。そもそも、ネットが先進性を持っていたのは、いわゆるニフティパソコン通信が最初だと思う。
それが「ネットによると」という言葉をマスコミが使うようになってきたのは3年から5年前。それで、その先進性が危うくなってきたのは2007年の夏。
セカンドライフ」が日本では流行らなかった。つまり、ネットというのは世界の中の先進的な場所ではなく、「熱心なブロガー」がいるだけで、もしかして現実社会にあまり反映されないかもしれない。


去年の夏くらいから「ネットでの検索一位」というのがあまりCMとか広告に使われなくなった。「続きはネットでね」みたいなCMも増えているだけれど、それに対する批判も増えてきた。


 今たぶん、ブロガーみたいな形で、意見を言ったり聞いたりするためにネットをやっている人よりも、通販とかオンラインチケット購入とか、ホテルの予約とかにネットを使っている人が増えている。


唐沢 そっちの利用が多いでしょうね。私なんかも今、ネットをつなぐ動機はまず、通販利用だもの。


岡田 ブログとかを読んだり書いたり、そういう欲望が人間にはあるんだけれど、それはどんどんケータイの方に移っていってる。
ついにグーグルが、ケータイをベースにしたシステムを作ってる。つまり、「パソコンのネット文化」が世間から遅れだしている。
だから、パソコンのブログを書く人たちの社会的影響力が急激に下がりつつある。
彼らがいる場所はすでに「世界の先端」ではなく「情報世界の最深層」なんです。


「情報的肥満」という病


岡田 ネットの情報というのは「速報性」と「誰でも発信できる」「確認がとりにくい」が特徴です。つまり「早い」「安い」「怪しい」であって、情報のジャンク・フードなんですよ。
ぼくがダイエットしたからこう考えるのかも知れないけれども、ジャンクフードみたいなジャンク情報を摂りすぎると、人間は「情報的に肥満」する。
そして、ネットに関してはみんな最新のモノを集めなければ気が済まなくなってくる。これは完全にネットによる「情報的肥満」。
その肥満症状はネットを断ったからわかったんであって、こんな騒動がなかったらまず気がつかなかった。