2005〜2006年ころのネット報道機関構想ってどんなものだったのだろうか?
インターネット新聞『JanJan』は2002年に発足。。
「ビジネス」ではなくてNPO組織としてやっている。 ベテラン記者や若手記者、編集者と技術者が、それなりに地道にやってきてると思う。 ネットに慣れている記者が多いというのも感じる。
ライブドアのパブリックジャーナリスト(PJ)は2005年1月スタート。
当時のライブドア社長室長 コーポレート担当の伊地知晋一氏が立ち上げたプロジェクトだった。
口コミがマスコミを超える日 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0608/07/news013.html
この記事を読むと、事業の多角化の一環であり、くちコミサイトを発展させたものであったことが分かる。
2005年後半の松永英明氏の報道機関案も興味深い。
泉あいさんに渡した「みんなのニュース」案の全文と解説 :[絵文録ことのは]2006/12/09
http://www.kotono8.com/2006/12/09newssite.html
今にして思えば(2006年12月)ソーシャルニュースサイトnewsing(ニューシング)に近いモノだったと回想しています。
DiggやPliggを使うことを想定していたから、似てしまったのかもしれないな。
本家(?)は今どうなっているのか、見てみる。
http://diggdot.us/
いつの間にかロゴが変わってた。 newsingとは、ちょっと印象が違うなぁ。広告と色遣いのせいか?
2006年8月、佐々木俊尚氏は神戸市にあるクインランドというITベンチャー企業の記事を書いています。 (のちに「次世代ウェブ グーグルの次のモデル (光文社新書)」にも収録)
自力でWeb2.0へとたどり着いた中古車店
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0608/04/news012.html
おせっかいなCGMと、フランチャイズが結ぶロングテール
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0608/11/news014.html
ポータルサイト作りが得意な企業、という感じかな。
中古自動車販売などのマーケティング支援のナレッジシステム構築をきっかけにネットに進出、外食産業に進出する際にEC(電子商取引)を習得、住宅産業に進出した際に eラーニング教育・マッチング(建築家の活用、工務店のインターネットを介して入札)などの経験を積んでから、地域ポータルサイト制作に進出しています。
地域ポータル Qlep神戸 http://kobe.qlep.com/ の成功後に全国展開。
ゲームソフト販売店網を持っている会社を買収しゲームポータサイト開設。 http://www.glep.jp/
「これはロングテールをフランチャイズに適用した、きわめて興味深い試みである。」と、佐々木氏は注目している。
Qlep事業の各種ポータルを見ると、ここのノウハウ・技術で市民記者ニュースサイトを作れたのじゃないか? なんて感じるなぁ。 *1
2006年8月に日本版オーマイニュースが発足したのだが、何故あんなに酷いサイトしかできなかったのか、ものすごく不思議だ。 オーマイ編集委員だった佐々木氏が、いつ取材でクインランドにコンタクトしていたかは分からないけれど、いっそここにに外注しちゃえば良かっただろうに。
ちなみにクインランドは、MAの失敗なども響いて、今はなかなか大変みたいだ*2
クインランドの挫折---急成長のネット戦略が破綻、赤字へ(06年9月雑誌初出)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20061025/251715/