【書評】〜佐々木俊尚が見た事実〜  「フラット革命」

フラット革命

フラット革命

ひとまず、ざっと読了。


力作ではあるのだろうな。 
「戦後社会」を論じた第二章第三章が、佐々木氏の基本的世界観を素直に表明している感じで興味深い。
しかし、安岡章太郎の「海辺の風景」、三島由紀夫の「鏡子の家」とくるのは分からなくもないが、その先に来るのが「クオリア」かぁ……   ちょっと絶句した。


ミクシィの話が、第一章と第三章に出てくる。 第一章ではいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」騒動に関して、ミクシィで活動していた「がんだるふ」氏の話。 第三章では、二人のアーティストが体験した「新しい人間関係」が、詳しく魅力的に書かれている。
同じミクシィの言論空間とは思えない話だ。


佐々木氏は 「SNSの研究 あなたはまだ「マイミク」のことが好き?」  にも執筆しているから、いろんなスキャンダル・問題点は知っているはずなのに、こっちの本ではあえてスルーなんだろうな。


第四章で「ことのは事件」を振り返り、現在の考えを述べている。
事件の経緯の記述を読んだ感想は、『これは「〜佐々木俊尚が見た事実〜」だ』という感じ。 以前書いたエントリーと同じ印象だった。

取材記者と取材相手との距離
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/321/
佐々木俊尚さんの記事や新書を読むと、取材対象との距離の取り方に危うさを感じます。
取材相手に対して、ちょっと批判的な「視点」が足りないのでないだろうか。


取材対象との距離が近すぎる。 
取材相手の言い分を丸呑みにし、取材相手を自身の内面に囲い込んで、一体化し、それを囲む外側の敵とか「日本社会」を批判するという立ち位置が、いつも根底にあるように思えます。
(2007年01月29日 )


佐々木氏は取材相手の証言の裏をとる作業が、足りないのではないか?
2005年に切込隊長から、こんなツッコミをされてもいる。 

佐々木俊尚さん、それは微妙に事実と違うと思います
http://kiri.jblog.org/archives/001413.html
 本件は、おそらく株主、VC、元経営陣、元社員すべてから事情を聞いて判断するべき性質のものであると思います。私の目から見ると、問題を起こして引導を渡された元経営陣の言い分を一方的に記載しているだけで、公正な内容であるというようには読めませんでした。

公共性

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)での西村博之氏との対談は、おそらく本書の執筆時になされたモノなのだろう。 本書の問題意識の一部が、わりと率直に述べられていて、興味深い。

佐々木 (…)たとえば凄いアジテーターみたいな人が出現してきて、2ちゃんねるとかブログの世界で人気が出てくると誰が止めるのかという話になる。戦前の日本では新聞がみんなで戦争をやろうと大騒ぎして、そこには公共性がなかったんです。それと同じように、今のインターネット上は、戦前の新聞と同じで、ある種の集合知でありつつ、集合愚でもあるわけです。インターネット上のアジテーターの発言にみんなが突っ走っていってしまうと、サイバーカスケード(インターネット上における集団分極化現象)のような状態が起きてしまう。そういったファシズムにも似たものが出現した状況の中で、それを止める能力があるのかどうかということになる。


西村 それは新聞があったときでも止められなかったことを考えると、たとえ公共性があったとしても無駄なんじゃないですか?


佐々木 これまた、身も蓋もない(笑)。西村さんのおっしゃる事は、確かに間違っていないんですけれど、せっかく戦後60年間もがんばってきたんだから、そこですべてを無にして、公共性がなくてもいいと言い切ってしまうのは、寂しい感じがしませんか?
(p122)


佐々木氏の考える「戦前の新聞」の認識、そして「戦後60年」の認識は、まぁ なんちゅうか やはり「元毎日新聞社会部出身記者」そのままなんだなぁ、などと改めて思ったりする。



と、とりあえずの感想。
細かいツッコミは、そのうち書くかも。