80年代オカルトブームの源流

『新潮』3月号に載った四方田犬彦氏の「先生とわたし」を読んでいる。
人名がやたらと出てくる。 文壇、学閥的なことには、あんまり興味はないのだけれど、興味深い名前を発見。 というか、この評論を読む目的のひとつは、80年代オカルトブームの源流が当時の東大に潜んでいるのではないか? という予感の確認のためなのだけれど。


武田崇元氏も由良君美ゼミの一員だったのだな。

宗教学科の同級生?? http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070518/1179430348


当時の武田氏について書かれてるところを、ちょっと引用・
1970年にドイツ表現主義映画をゼミで上映するエピソードより。

 ドイツ表現派のゼミには高山宏隠岐由紀子のような、かつて彼が担任を勤めたことのある学生も混じっていたが、中心となったのは伊藤裕夫、武田崇元中山元といった学生だった。彼らは「文学集団」というサークルを通して知り合い、大学紛争が沈静化された後のキャンパスに横行しだした楽天的な復興ムード深い懐疑心をいだいていることで共通していた。
(略)
 伊藤はそこで妙案を思いついた。ドイツ文化センターに当時の16ミリフィルムが保存されていると聞きつけた彼は、知人の伝を辿って言葉巧みにそれを借り出し、武田と語らって駒場の一教室で上映することに成功したのである。教育目的という大儀があり、使用料は無料だった。伊藤は映写技師の免許すらもっていなかったが、前年の駒場祭若松孝二連続上映会を組織したとき、映写技師の傍らにあってたちまちその手順に熟達してしまうほどの機敏さをもっていた。


由良家は南朝の遺臣の血をひく家柄で、君美の父 由良哲次はドイツ留学もした哲学者だった。
南朝正閏論を唱えることを使命と感じていた模様。
戦前・戦中にナチス賛美をしていたことに触れた部分より。

 ちなみに由良君美のゼミ生で、第2章でわたしが名を揚げた『地球ロマン』編集長の武田崇元は、あるとき君美にむかって異端神道の話を切り出したことがあった。君美はパイプを燻らせながら武田の話に愉しそうに耳を傾け、その後で「そういえば昔、日本にもナチス神道というのがあってね」といいかけた。関心を持った武田が聞き質すと、君美は慌てて誤魔化し、別の話に変えてしまったという。おそらく彼の念頭にあったのは、(由良)哲次とその周辺にあったイデオローグのことであったはずである。


ちょっと名前をググってみる。


伊藤裕夫(いとう やすお)
生年月日1948年12月3日
略歴 東京大学文学部卒。
(株)電通入社、企画セクション等を経て(株)電通総研に出向、文化政策NPO等の調査研究に従事。 現在、静岡文化芸術大学文化政策学部教授。


中山 元(なかやま・げん)
1949年東京生まれ。東京大学教養学部中退。哲学者・翻訳家。
フーコーバタイユフロイトメルロ=ポンティなどの著作を翻訳する。また哲学に関する著作をいくつか書いている。
ポリロゴス http://polylogos.org/


若松孝二連続上映会というのも、時代を感じさせるなぁ。
ちなみに新作映画「実録・連合赤軍」が完成した模様。 配給はどうなるのかな?
http://www.wakamatsukoji.org/blog/2007/05/post_57.html



武田崇元氏というのは、オウムやオカルトブームを語るときには避けて通れない名前だ。

中沢新一レーニン礼賛」の驚くべき虚構』(岩上安身 「諸君」 1997.1)より
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/nakazawa.htm

 私のインタビューを受けた際には、中沢氏はオウムの問題点を内在的に把握して分析し、無難な線で批判を展開してみせた(月刊『現代』95年7月号「悪魔の誕生」)。
 ただ、彼の発言でいくつかひっかかる箇所があった。そのうちのひとつが「霊的ボリシェヴィキ」という言葉である。これは70年代末に創刊された『迷宮』という伝説的なオカルト雑誌の編集長、武田崇元氏(本名・武田洋一。現・八幡書店社長)が提出したコンセプトだった。もっとも、私はたまたま彼の発言を当時、目にしていたが、恐ろしくマイナーなカウンター・カルチャー・シーンの蛸壺の中での話であり、「霊的ボリシェヴィキ」などという言葉は、ほとんど人の記憶に残らなかったはずである。ところが、中沢氏はこんな古い話を持ち出し、曖昧な表現ではあったが、オカルト暴力革命を本気で企む党派なり運動なりが現実に存在していて、武田氏がそのイデオローグであり、そうした影響の下で、オウムが誕生したかのような言い方をしたのだった。これには当惑せざるをえなかった。マイナーな雑誌上での放言はともかくとして、現実レベルではどう考えてみても、武田氏にそこまでの思惑や影響力があるとは思えなかったからである。

岩上氏は「恐ろしくマイナーなカウンター・カルチャー・シーンの蛸壺の中での話」と書くけれども、影響力に関しては侮れないと思う。
ゼミの中におかしなのが紛れ込んだ、という話ではないだろうなぁ。 同じような体験や知的背景をもった人脈を辿ると、けっこう根が深そうな問題だと思う。

【参考】

武田崇元「80年代オカルト」一代記  宝島30 1996年1月号
http://www.asyura.com/sora/bd/msg/367.html
http://www.asyura.com/sora/bd/msg/368.html


私が出会ったもうひとりの「カリスマ」原田実
http://www.asyura2.com/sora/bd/msg/327.html
http://www.asyura2.com/sora/bd/msg/328.html


神聖なる詭弁と偽史武装カルト(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』) 久山信
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/67.html