1980年代の科学的思考…というか科学敵視考

今頃、阿修羅のログをあれこれ読みかえしている。
ちょっと気になった事柄。

科学教育は潰された?

 八〇年代始めの頃、科学教育というものを巧妙に骨抜きにしようとする動きがあったんじゃないか、そんな気がしませんか。それは中曾根康弘さんが日教組を潰す為にやったのかも知れないし、もう誰がやったのかも判らないのですが。本来、小学生に対しては、科学教育がなされるべきなんです。それが微妙に巧いこと巧いこと骨抜きにされて、気がつくと小学生高学年から中学生高校生に至るまで、活字に書いてあることを丸ごと鵜呑みにするような教育になっている。

 その頃、子供の自殺がやたらと増えました。RPGゲームならいっぺんクリアにしたらもう一回できるわけで、このクリアにするという発想が広まった。とにかく八〇年代初頭はおかしな時代でしたよね。それがだんだんバブルが膨らんでいき、一方では八六年から八八年頃にファンタジーブームというのが起きる。

 ここでブームになるのが英国本来のハイファンタジーに慣れた人にはかえってなじめないような変てこなファンタジーだった。誰かがそういう仕掛けを作って何か危険な方向に子供たちを引っ張ろうとしたのじゃないかと。

 ところがベルリンの壁が壊れたり、ソ連が潰れたりで、そういう連中がやろうとした事も潰れてしまった。そこで、連中が手を引いたので現在の状況が生まれたのじゃないか、そんな気がするんですよ。これはあくまでも私の思い過ごしかも知れませんが。

 しかし、八〇年代の頭といえば教科書問題が起きた時期ですし、科学的思考というものが、この頃、もの凄い勢いで、小学生たち、中高校生たちの頭から消えていったということだけは明らかですね。


オカルト業界の懲りない駄々っ子たち(ジャパン・ミックス編『歴史を変えた偽書』)
朝松 健
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/66_.html

それに対しての、ひとつの解釈

 細かくは後述することになりますが、一九六〇年代後半から一九七〇年代初頭にかけて放映されていた子供向けテレビ番組の多くにおいて、「大人社会への反抗」と「科学の否定」という構造が用いられていました。
 言い換えれば、これらの「敵=大人社会=科学」という構図は、現在三十代前半に位置する人間たちが幼い頃に視聴したテレビ番組において多く用いられていた構図でもあります。
(注:1961年生の著者が1995年に書いたもの。)
(略)
 大人社会に反抗したいという欲望は、科学の否定・科学への反抗という出口から流れ出すことによって解消されるのです。彼ら子供の心には、「大人社会への反抗」という欲望が「科学に反抗」することによって充足されるという水路づけが形成されていると言えるでしょう。

(略)
敵である秘密結社に「科学」の色を塗り付けることは、この当時のアニメや特撮で大流行した現象です。実のところ、これは一九六〇年代後半から一九七〇年代初頭のみの現象であり、一九七〇年代も後半に入る頃から、この種の「圧倒的な科学力を有する敵」という構図は用いられなくなります。


アニメの醒めない魔法―ドらえもんからセーラームーンまで、アニメトラウマ構造分析』(高田明典著、PHP研究所)より。
http://www.asyura.com/sora/bd12/msg/1052.html

一九六〇年代後半から一九七〇年代初頭といえば、公害問題が世間を騒がせていた。 「科学は人類を幸福にしない」という雰囲気が有った頃だな。
「自然に帰れ」とか「野生を賛美」とか「超科学」みたいなのは相当前から有るけれど、「大人社会への反抗」と結びつくのがこの時期の特徴なのかな?