中沢新一の文化大革命観

東京都産業労働局農林水産部農業振興課主催の遺伝子組換え作物の栽培に関するフォーラムが平成17年3月19日に行われ、そこで中沢新一氏が講演をしています。
http://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/norin/nogyo/idenshi/idenshi.htm

その講演録が公開中。
雨に濡れても‥中沢新一 http://ameblo.jp/ame2/


いろいろと、あれこれ興味深いのだけれど… 微妙に驚いたのは中国の文化大革命について述べた部分だ。

http://ameblo.jp/ame2/entry-10001738975.html

[…]この文化大革命というのは、いまになってみると、1,000万人も人を死に追いやったひどい行為だと言われていますけれども、しかし、当時の感覚から言うと、ちょっとそうでもないところがあったのです。

(中略)

 ですが、文化大革命自体は、あまりよい成果をもたらすことなく終わって、学生たちの農村部への下放ということも、あまり現代では高く評価されなくなっていますが、実際はそうではないのです。大変よい成果をつくっていると思います。

 なぜなら、いま中国の映画は非常に進んでいます。優れた映画監督をたくさん輩出していますが、この映画監督のほとんどすべてが、下放を体験している人たちなのです。映画を通して人間をとらえるときに、上海や北京のような都会に住んでいたのでは到底身に付かないある種の世界観を、この人たちは身に付けた。

 それは、非常に中国の辺境部へ飛ばされるのです。タイやチベットの国境地帯とか、とりわけ中国でも遅れている地帯へ飛ばされたわけですけれども、そこで獲得した人間観というものが、いまの映画芸術などをつくる場合に、大変豊かなものをつくり出しています。

 ですから、人間的にはとても豊かになったのだろうと思います。ただ、この世代は英語の勉強をさせられませんでしたから、いま中国は大変なエリート社会になっていますが、その社会では脱落者になっています。負け犬ですね。まったく私たち世代ですが、完全に敗北世代で、負け犬世代です。

 しかし、エリート社会の道からはずれてしまったのですが、芸術の領域を担っているのはこの人たちです。ですから、豊かな人間であるということと、エリートの競争社会ということは両立し得ませんから、そういうことが実際に起こったのだろうと思います。

下放を題材とした名作は、そりゃぁいくつかは作られているが…
現在の中国で、検閲もなく文革時代を描いた映画が公開されていたり、中沢のいう下放の精神が国全体で生かされているのなら、この言い方にも少しは説得力があるかもしれないが。


敗北世代・負け犬世代の下放体験者に向かって「人間的にはとても豊かになったのだから、よい体験でしたね」と言ってるようなものなんだけどなぁ。


それにしても、文革時代に青春を送った世代、中国版の「失われた世代」は、現代の中国文化をリードしているのだろうか?
芸術活動をしてる人たちや映画監督ってのも、ある種のエリートだと思うしなぁ…。 彼らは本当に「豊かな人間の世代」を代表しているのだろうか? 映画以外の芸術作品にも、文革での下放の遺産が活かされているのだろうか? 中国の文化は「豊か」になっているのだろうか?


ところで映画「小さな中国のお針子 [DVD]」は中国本土ではまだ未公開なのかな?
この感想にかなり同意  http://tourandot.at.webry.info/200410/article_2.html



中沢発言で映画「第三の男 [DVD] FRT-005」の名台詞を思い出した。

ボルジア家の圧制はミケランジェロダ・ヴィンチルネサンスを生んだが、スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義は何を生んだ?・・・鳩時計さ


youtubeで見られるとは思わなかった。
スイスの傭兵は、ヴァチカンをミケランジェロがデザインしたといわれる制服着て警護しているし、自衛隊のP220拳銃はスイスSIG社の設計だったりするが、まぁ、それはそれだ

時計に関して追記

スイスのジュネーブ宗教改革の舞台でもあるな。 カルヴァンの本拠地だ。
時計産業はけっこう重要。
資本主義は「時計のように働く」という勤勉さが背景にあったりするわけだし、大航海時代の地図製作のため正確な時計制作技術が発展したのだから、「鳩時計しか生まなかった」と貶めるのは、いかがなものか

と、ハリーに突っ込んでみたりする。