【追記】

ネットの書評をあちこちと眺めてみた。
いくつかは否定的なレビューも有るけれど、大方は好評のようである。
博覧強記に感心し、知的興奮を覚え、厚い友情に涙する読者が多いみたいだ。
う〜む。 世間とはこういうモノなのかなぁ、などと思う。

いわゆる若い一般読者がそういう感想を持つのは、理解できる。
しかし、いちおう評論などで飯を食っている批評家などまで、それと同じような感想であることの方が、かなり問題があるのではないのか?

finalventさんの「国松孝次警察庁長官狙撃事件の裏にあるもの」http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/07/post_6.html に習うと、伊東氏の博覧強記のあれこれは『このあたりの様相は、あの時代の空気を吸った人間ならそれほど秘密のことではない。』という感想だ。 やや目新しいキーワードが頻出するけれど、「なに それ?」という程度で、特に知的興奮というものも感じない。

いろいろと小難しい言葉を並べているけれども、問題意識のあり方、論の進め方は
田原総一朗連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ と、ほとんど同じように見えた。

  • インテリ・エリートと言われる若者が、何故テロに走るのか。
  • 戦前の日本は、軍によってマインドコントロールされていた。

田原は好きじゃないし、インタビューも物足りないけれど、とりあえず当事者の言葉が読めた分だけでも意義はあった。 サイレントネイビーは、結局のところ自分語りばかり読まされたという不快感が残る。(それも女子大生相手の語り口調で)



「同級生」が出家した理由を、東大の構造的問題として論じ、

下手でも失敗作でもいいから、関連の仕事で豊田のオリジナルのモデルの取り組みを指導してやる体制があったら、俺は確信あるよ、豊田はオウムへは行かなかった。(p.217)

と語っている。
東大からは他にも出家者がいるのだが、彼らも同じ理由なのだろうか?
特に元法皇官房庁幹部 石川公一については、どう考えているのだろうか?


この本ではオウムのマインドコントロールの手法として、麻原の声・見つめ合わない目・ヨガの技法による肉体操作・薬物などを論じている。 しかし「キリストのイニシエーション」「ナルコ」「ニューナルコ」「バルドーの導き」についての説明はp86〜p91の6ページしかない。 しかも女子大生の相棒に説明する口調で。

著者の経歴からすると、これらをもっと詳しく解説し、作用や効果を分析するべきじゃないのか? 
特にこれらの開発・実行には、「同窓生」が深く関わっていると言われているのだから、なおさらだ。


「ナルコ」「ニューナルコ」に関しては、こんな記述もある。

林郁夫医師を中心に、オウムが行っていた自白強要の「ナルコ」や、記憶消去のための「ニューナルコ」などの例が私の頭をよぎった。(p257)

これに関しては、林郁夫のオウムと私 (文春文庫)に詳しい記述がある。 読んでいないのだろうか?
読んでいて、敢えてこの記述だとすると、麻原と林郁夫に責任を押しつける「同窓生隠し」の意図があるのではないかと勘ぐりたくなる。