生身なのだろうか?

急がないでいるうちに、松永さん、黒崎さんに先に言及されてしまった。

倫敦橋氏との対話5――あなたは対象をどう見るか


こちらもそう急ぐ理由はありませんが、情報を掲載しておくことで不利益を被る他者が存在することについて、私たちはお互い少し意識してもいいのではないかな、と思ってはいます。

これは一般論としては同意できることです。 
しかし、あなたのエントリーを読み進めるうちに、ちょっと不思議さを感じました。 転載した2ちゃんねるログの、最初に引用されているURLの方についての「不利益」については、あんまり関心がないように感じられましたので。


あのURL先の人への評価というのも、それなりに先方の不利益になりそうなものだと思うのですが…。
だから、私が先方へTBもコメントもせずにいる事に関しての議論になるかと思っていました。
「本人にまず確認」を主張されるならば、もう一方の元信者にも対話を求めるべきだと主張されるのかと予想していたので、ちょっと意外でした。
urlの表記と、TBもコメントもせずにいることに関しては、ご理解いただけたということと解釈します。


ネットで検証をするなとは言わない。

でも今のネットの検証のやり方は、問題が多い。

それを考えてみませんか、ということです。

この問題意識はわかります。しかし、それに関しての「受け手」「送り手」に関しての展開がちょっとわからない。
特に、引用した人工知能のフレーム問題の話が、このように読まれたことには、ちょっと驚いた。(非難してるわけではありません)

これは読者にメディアリテラシーが必要かどうか、ということとはまったく別の話です。前にもいったとおり、送り手としての良心の問題です。アンドロイドのお話は、受け手のメディアリテラシーの問題で、これと混同なさるべきではないです。

あなたは「適正な答え」を求めておられるようだ。

きちんと対象のプロパティを解析しないで、どうして適正な答えが得られるんですか。

人工知能のフレーム問題の話は、「適正な答」を求めるためのものではなく、「適切な行動」をするための仕組みについての話です。
「適切な行動」をするために、「適当」に情報を処理しなければならない。 リスクを冒さななければ、適切な行動ができないということです。
「誰かの不利益」というリスクは当然配慮しなければならないだろうが、さまざまな仮説を出しながら議論・検証していかなければならないのではないですか。

ときには誤った仮説が提示されることもあるだろうが、それを排除して、というか最初から提示しないように議論するのは不可能なのではないでしょうか。

そんなものが出されたことはついぞなかった。今読むと、ほとんどが見込みだけの仮説です。
(略)
まして、生身の人間です。私たちは、「松永英明氏」をきちんと見てきましたか。見る努力をしてきましたか。そういうことです。

以下の仮説というか分析・主観のやり取りを、私は興味深く読みました。 あなたには、これも「見込みだけの仮説」という評価なのでしょうか。
崎山さんの述べる「主観」に、私はかなり示唆されるものがありました。

私の述べた「主観」は、(前史としての「ムッタ・デーヴァ」)、「河上イチロー」、(再び)「ムッタ・デーヴァ」、そして「松永英明」まで、全て表層的なモード、ということだ。


とんだ曲解」より

オウムひとまとめ
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/27711706.html

河上イチローはオウムを偽装脱会していた」というのはありえない
http://d.hatena.ne.jp/sakichan/20061118/p1

「松永」という物語
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/27803501.html

とんだ曲解
http://d.hatena.ne.jp/sakichan/20061125/p1



情報の送り手の責任については…最近こんなのもあるしなぁ


結局は、「何を言ったか」では無く「誰が言ったか」が重要なのか?
http://beyond.cocolog-nifty.com/akutoku/2007/02/post_20ba.html



私はid:requiem7氏の公人論や実名を書くことの論理展開が理解できない。 彼がBBさんに、松永さんの見舞いに行くべきだと提案していたけれど、その理由もよくわからない。

けれどもeshekさんの書き方だと、私もrequiem7氏の手法で松永さんたちを取材し、その結果をネットで書くべきだということのように思えてきました。


松永英明」と言うのはハンドルネームです。 仮名で公党の懇談会に出席し、報道機関設立の黒幕とも噂される人物は、requiem7氏の論理だと「公人」ということになるのではないだろうか?
私に(他の人でもいいのだろうけれど)、突撃取材をして「生身」の人間を追求し、公開ネットで実名を出し、住んでいるところの住所・写真も公開してもいいという、勧めようにも感じられました。 (私の誤読なのだろうか?)


私のblogはコメント欄もTBも開けてあります。 そこで対話が可能だし、現にしている状態で何故直接会うことに、それほどこだわられているのか、ちょっと不思議に思います。 (BBさん、黒崎さんに対してなら、まだ解かるが)



umeさんへの接触は、トリルさんの折衝を見守っていました。 トリルさんは連邦軍ではないですよね。
彼の説得でもumeさんが動かないのだから、なかなか難しそうだなぁ…


umeさんに訴訟を進めた松永さんが、彼に「公式」に対応するよう説得するほうが、問題解決に近づくのではないかと考えています。