記録について

今年の正月、産経新聞の【正論】のコラムが、ちょっと波紋を呼んだ。


藤原正彦 若い君への年賀状-コラむニュース:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/34073/

シナトラ千代子 - 藤原正彦の脳内ヒストリーによると1980年代にはいじめ自殺はほとんどなかったらしい。
http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070112/p1


20年前のことでも、学者先生とも有ろう人が、ねじ曲げて記憶してしまうものらしい。
自戒したいものだ。


こんなのも、今日読んだ。
エヴァ放映時のビデオを見直したときの感慨です。

武田徹のオンライン日記 1月30日
http://162.teacup.com/sinopy/bbs?M=ORM&CID=568&BD=2&CH=5

テレビ版最終回は何度見てもすごいと思うけれど、それもDVDでいくらでもレンタルできるし、youtubeでも全編見れるので、最初はダビングして保存しておく必要はないとも思ったが、本編よりもCFに時代の流れが反映されおり、記録の意義を感じた。

ゴミのよう事でも記録しておけば、当初の意図とはまったく別の面から再利用できてしまう。


FC2のスパムフィルターが優秀だったのか、私のblogが過疎地だったからか、スパムTBや広告コメントは少なかった。 2回くらい削除したかな。
とはいえ、英語を載せてるところに英文のスパムが届き、水俣と書いてるところに、ちゃんと水俣関連の広告が届いたのには、ちょっと感心した w
放置したまま、サンプル数が増えてたら、スパム研究のネタになったかもしれない。


インターネットでは、言葉・画像・音楽などの記憶の蓄積が、今後さらに重要になってくるとおもう。
パソ通とかインターネット黎明期は、情報発信とかコミュニケーションというのが凄く強調されてた。 しかしGoogleのキャッシュとかwebアーカイブ、魚拓が実は相当に大きな力を持つようになったというのは、想定外だった。