高卒な忌野清志郎

1960年代に高校生だった時の感性を持ち続けていた人だったな。


ザ・タイマーズ - ロックン仁義


生涯ずーとミュージシャン・バンドマンとして活動。
高校卒業後すぐにプロ活動を初めて、「普通に就職やアルバイト」をしたことが無いのを自慢していた。


1969年、東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションに出場、3位となる。 
「カレッジ・ポップス」なぁ…  時代を感じる。 学生運動で世間が騒然としていた頃だ。


1972年、3枚目のシングル「僕の好きな先生」がヒット。 同年の5枚目のシングル「三番目に大事なもの」も高校時代の思い出を歌ったものだった。
「カレッジ」というものとは縁のない、高卒・ブルーカラーの世界を歌っていた。


とはいえ当時ヤンキーに一番うけていたのは矢沢永吉。 RCの客層は、それとはちょっと違っていたな。
洋楽の歴史蘊蓄を語るファンが一定数以上いた。


RC活動休止後の1991年、清水建設CM「パパの歌」はちょっと驚いた。
さんざん毒気を振りまく活動してきたのに、何を今更ほのぼの歌っているのかな? という違和感があった。
まぁ、ブルーカラーのお父さん賛歌ということでは、終始一貫しているともいえる。 
年相応の歌だったのかもしれないし、原点に返ったという感じだったのかな。


ヘルメット繋がりだったのかもしれないな


合掌