「死に神」とか「魔界」とか

鳩山法相のまわりで、いろいろと言われているわけだが

4月18日の朝日新聞夕刊の『素粒子
永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を貼り、2カ月間隔でゴーサインを出して、新記録達成。またの名、死に神


おそらく鳩山法相がもっっと怒ると思われてることを書いているのが保坂展人

「日本は346年間、事実上の死刑廃止国だった」保坂展人のどこどこ日記
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/27c56aa0c5044fee3d9d07d43be5d6ee

今こそ冷静な議論を積み上げて、実を結ぶように努力する時期だが、鳩山大臣はいまや「死刑執行ベルトコンベア」として、魔界に迷い込んでいるのではないかと心配だ。来週、できれば直接に話をしてみたい。

まるで日本の司法界は「魔界」であり、裁判長は閻魔大王で、「魔女裁判」が横行して、「死に神」が死刑執行している国のようだ。



それよりも気になったのは、保坂展人が「歴史」を持ち出してきたことだ。

日本は先進的な死刑廃止国だったということは、もっと知られていいのではないか。最近、衆議院法務委員会調査室が『死刑に関する資料』をまとめた。少し引用してみたい。


平安時代になってからは、嵯峨天皇弘仁元(810)年9月11日、藤原仲成が死刑に処せられて後は、少なくとも朝臣(あそみ・最初は皇別の有力な氏に与えられ、平安時代に有力な氏や皇子皇孫に与えられた)について、たとえ死刑の判決が下されても別勅で、遠流に処する慣行が生れた。御白河天皇の保元元(1156)年に、保元の乱後、源為義に死刑を科するまで、26代346年間、平将門や平ら忠常が梟首された特例を除いては、実際上、死刑が執行されることはなかった」


346年も、だ。長い間、最高刑は「流罪」だった死刑廃止国だった歴史と伝統に、私たちはもっと注目してもいい。「日本は日本だ」と言う前に、日本のことをしっかりと把握し、踏まえるべきではないか。なぜ、日本は死刑を決めながらも流罪減刑してきたのか。その奥底には、現在の終身刑の議論につながる「死刑」を極刑としながらも、ぎりぎり回避する智恵が宿っていたのではないか。

  • 西暦810〜1156の制度を「先進的」と評価するのはいかがなモノか。
  • 政治的死刑刑と事的死刑を混同している。


なんちゅうか、天皇律令国家で仏教と御霊信仰が有った時代を、ただ死刑廃止という一点だけで「先進的な死刑廃止国」とこじつけることに、無理がある。
もしかして、伝統を皮肉るネタとしてこの「歴史」を取り上げたのかとも一瞬考えたが、どうもマジらしい。