アモックについて(追記有 6/15)
いじめ研究の第一人者である社会学者、内藤朝雄氏のblogエントリーに気になる記述があった。
秋葉原通り魔事件の祝祭的報道について
http://d.hatena.ne.jp/izime/20080609/p2
マレーシアとインドネシアで、アモックという「人生一発逆転気分の殺しまくり」が流行して、どうしようもなかったことがある。そのとき、政府が淡々と犯人を死刑にし、ドブネズミの死骸のように、即物的に扱ったことによって、流行が収まったという。
とりあえずwikipedia:アモック
19世紀以降、欧米列強の進出により、社会が近代化されると、アモックは減少し、現在では、ほとんどなくなった。
「アモック的ではないか」という指摘は、以前から無いわけでもないのだが…
アモック的無差別殺人 野田 正彰 月刊みんぱく 2006年4月号
http://www.minpaku.ac.jp/publication/gekkan/200604txt.html
ところが近年の日本やアメリカ、西欧諸国で、アモック的無差別殺人事件がときどき報道される。一九九九年九月、JR下関駅に、三五歳の男がレンタカーで突っ込み、さらに包丁で通行人に切りつけ、三人を殺害し、一二人を傷害した。大阪池田市における小学校乱入事件もアモック的だった。犯人はさまざまな精神病であったり、または正常であったりするが、殺人プロセスはアモック現象である。自分は社会から弾かれていると敏感に感じ、どうせつまらない敗者の人生なら終わりにしよう、自分が死ぬのなら、この社会も無くなればよい、と考える。情報化によって、彼が対象とする社会は共同体ではなくなり、不公平な情報社会全体となっている。しかも差別抑圧と絶望と大衆への復讐は、情報化によって学習されている。文化人類学者と精神病理学者が共同研究すべき領域だろう。
最近のアモック的事件や騒動についてのニュースとか。
古典的なアモックでは暴れるのは一人だけなのだが、最近は一過性の集団的興奮状態のことを指しているようだ。
2002年1月21日のトップニュース
マハティール首相が怒る インドネシア人出稼ぎ者 相次ぐ「アモック」暴動
http://www.jakartashimbun.com/pages/20020121top.html
女子生徒だから、若干違うかもしれんが
中学校で集団ヒステリー、呪術師がお祓いに出動 2008/04/14
http://www.malaysia-navi.jp/news/080411070520.html
日本メーカー工場の昔話
「アリババ商法 〜マレー人の社会〜」アジア的カフェ (By 夏目芳雄)
http://natsume1.exblog.jp/967713/
昔は地方の工業団地にあるメーカー工場の創業当初に、時折発生したそうである。最近では都心の日系デパートでもあったそうだ。その集団ヒステリーを実際に目の当たりにした日本人の社長から、それがどんなふうだったか、僕も直接伺ったことがある。
あの地域では、民族暴動が起こり中華系の人びとが襲われる暴動が時々あるわけで…
ナショナリズムの危険性を指摘する言葉として使っている人もいた。 とりあえず全文転載。
【2006年12月22日、毎日新聞社説】
視点06・シンジラレナーイ 靖国神社(論説委員・金子秀敏)
◇論議の冷めぬよう、小泉参拝もう一度
今年の8月15日、靖国神社に参拝する小泉純一郎首相(当時)に日本中の目が集まった。
異様な高ぶりが国中を覆っていた。首相の参拝を批判した加藤紘一議員の実家が放火されるという許し難いテロ事件まで起きた。
書店には靖国神社関連本が何種類も並んだ。メディアでは参拝賛成派、反対派の論客が、かみ合わない歴史認識を延々と論じていた。与党の政治家も、靖国神社を宗教法人でなくすべきだ、A級戦犯を分祀(ぶんし)せよ、いや新たな国立の追悼施設を、と議論していた。
だが、それなのに、である。安倍晋三首相に交代したとたん、あの熱狂は逃げ水のように消えた。いまでは古賀誠・日本遺族会会長が歴史の勉強会を呼びかけているという短い記事を見かけるくらいである。
東南アジアの民族は、時にキツネ憑(つ)きのような一過性の集団的興奮状態になる。アモックという。刺客の闘いに酔った郵政民営化解散といい、年1回繰り返された靖国参拝騒ぎといい、小泉政治は日本人の血の中の南方系DNAを突き動かす力があったのだろう。
米国では、ブッシュ政権の末期に入り、一世を風靡(ふうび)したネオコンは黄昏(たそがれ)を迎えた。日本でも、協調的な安倍首相の下では、きっとアモック的熱狂は起きない。だが、それでいいのだろうか。
あれだけ熱くなって、日本の戦争について考えた。たまたま昭和天皇の発言を記録した富田メモが発掘されたこともあり、メディアは日本人と戦争について、さまざまな角度から特集を組んだ。その議論の柱に靖国神社の存在があった。その成果を、けろりと忘れてはいつまでも進歩しない。考え続け、結論を出さなければ美しい国ではない。
海外のメディアも大勢、靖国神社を取材に訪れた。付属の博物館の展示に示された歴史観に驚き、日本に偏狭なナショナリズムが台頭していると報じたという。日本人は忘れたですむが、外国人はいつまでも熱狂した日本のイメージを忘れないだろう。
信じられないのは、小泉前首相の行動である。政権の座を降りたら真っ先に靖国神社に駆けつけるとばかり思っていた。
8月15日の参拝の後、「戦争に行ってたおれた方々の犠牲を片時も忘れてはいけない」「まさに、心の問題」と語っていた。だから、次期首相が新内閣の記念写真を撮影している同じ時刻に、靖国神社にひとり参り「不肖わが任期中に国家の安全を保てたこと、ひとえに靖国のご加護」と、感謝の誠をささげると思っていた。
1年に1度などは首相の時のこと。前首相にもう制約はない。が、秋の例大祭にも真珠湾攻撃65年の8日にも参拝の報道はなかった。小泉前首相でないと、靖国問題に対する国民的関心は持続しない。それが困る。
「南方系DNA」がアモックを引き起こす、ってか
それにしても、内藤朝雄氏が「流行した」と書いているのは、いつの時期の話なのだろうか? かなり気になる。
古典的な一人で暴れ回る男性のアモックが流行した、という話なのだろうかな?
まさか マレーシア 1969年wikipedia:5月13日事件、インドネシア1965年wikipedia:9月30日事件のことじゃないだろうなぁ。
【追記2】2008/6/15
ちょっと読み落としてた
英領マレーシアでは総督府がアモックに走る者を死刑に処するという法令を発し、まず一人をおもむろに絞首刑にしたら、衰退した。しかし、あいまいに承認されたインドネシアでは、だらだらと続いた。
ということ、だそうだ。
鳩山法相のベルトコンベア方式がベストの方法ということかな? 附属池田小事件の犯人が、あっさりと死刑執行されたのは抑止力になっているのかなぁ?
模倣犯については、こちらでいろいろ考察されている。
【追記1】
そもそも気になったのは、その前のエントリーのなかで
チベットに関する内藤朝雄さんのメッセージ
http://d.hatena.ne.jp/izime/20080321/p1
今回の中国のチベットでの残虐行為については、もう右と左をやめて、ひたすら「人間の尊厳を踏みにじるのをゆるさない」という地点から、政治は動き、メディアは発信すべきです。
と書いている人が、その直後に模倣犯を生まないために
犯人を、ただの犯罪者以上でも以下でもなく、報道すること。
という提言に続けて、こう書く。
そのとき、政府が淡々と犯人を死刑にし、ドブネズミの死骸のように、即物的に扱ったことによって、流行が収まったという。
犯人を、ひとかけらも、承認してはならない。
祝祭的なムードを一切かもしだすことなく、害獣の処理をするような、淡々とした態度が、政府や報道には必要だ。
犯人の「人間の尊厳」ってのが、内藤氏のなかで完全にぶっ飛んでしまっていることが、本当に奇妙だ。
まぁ、内藤氏は「中国政府が主催するオリンピックををひとかけらも支持できない」と主張しているわけで、同じ流れで今回の犯人も「ひとかけらも、承認してはならない」と書くのだろう。
態度としては一貫している。
【関連】ドイツのアモック
2002年4月26日の事件 Amoklauf von Erfurt(ドイツ語)
英語版wikipedia Erfurt school shooting
2006年11月20日のアメリカ・バージニア工科大学銃乱射事件は、ドイツ語では Amoklauf an der Virginia Techという表記になってる。