羊水と優性思想

「羊水が腐る」発言で連想したのは、羊水検査等の出生前検査のことだった。
出生前検査問題は、1997年に優生保護法が改正されて母体保護法になったときに盛んに議論されていた。


もうちょっとさかのぼれば、1980年秋に大西巨人渡部昇一を中心に起こった論争も有る。
こっちの論争が、妙に強烈な印象で記憶に残っている。
いわゆる優生思想・出生前診断・選択的中絶・医療扶助費に関する論争だっったのだが…
この事件で出生前検査、つまり羊水検査の具体的なことを知ったと思う。 それまではダウン症に関しては、保健体育の教科書に載っていたという認識しかなかったな。


大西巨人は「当事者」として前面に出て来ていた。 しかし、その他の当事者家族の考えは見えにくかった。
大西のいうことがおそらく「政治的に正しい」のだろうし、その後に優生保護法も「政治的に正しい」方向で改正されたわけだが…。
ただ、大西巨人渡部昇一の場合は単に優生思想に関しての論争だけじゃなくて、右翼の渡辺vs左翼の大西、新潮vs朝日といったイデオロギー対立が背後にあったりするあたりで、ちょっと問題が変に「政治化」してしまったようにも思えたな。

すごく語りにくい、ねじれた感情が私には残っている。


ただ、この事件以降、私は渡辺昇一の書くものに関して、そうとうに距離を置くことになったな。


1997年といえば、10年くらい前かぁ。 「政治的に正しい議論」ってのは伝承されないモンだな、などと今回の騒動をみていて感じる。





問題となった「神聖な義務」全文
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/h001003.htm


立命館大学の北村健太郎氏の講演による事件の概要

 「神聖な義務」とは、1980年に大西巨人渡部昇一を中心に波紋を呼んだ事件です。その当時、上智大学教授の渡部昇一は『週刊文春』に「古語俗解」というエッセイを連載していました。その10月2日号に掲載された「神聖な義務」というエッセイが事の発端です。


 この中で渡部は、2人の血友病児の父親である大西巨人を名指しした上で、長男が血友病であると分かっていて次男をもうけたことについて「未然に避けうるのは避けるようにするのは、理性のある人間としての社会に対する神聖な義務である。現在では治癒不可能な悪性の遺伝病をもつ子どもを作るような試みは慎んだ方が人間の尊厳にふさわしいものだと思う」と述べました。それを10月15日の『朝日新聞』が大西の反論を大きく取り扱ったことで、多くの人々が注目しました。大西は11月1日付発行の『社会評論』第29号で「破廉恥漢渡部は非人間的デマゴギーに立って“なぜお前(大西巨人)は『既に生まれた生命』次男野人(ののひと)を『未然に』抹殺しなかったのか”と私(の『人身』)を攻撃批難したのである」と述べ、痛烈に反論しました。渡部に対して反論をしたのは大西だけではありません。把握しているだけでも、横田弘を会長とする「青い芝の会」神奈川県連合会、作家の野坂昭如、高史明、遺伝学者の木田盈四郎、当時朝日新聞記者の本多勝一がおり、上智大学内では「渡部昇一教授『神聖な義務』を糾弾する会準備委員会」ができ、抗議活動をしていきます。


 「神聖な義務」は、『週刊新潮』9月18日号の「大西巨人家の『神聖悲劇』」という記事が下敷きとなっています。大西巨人生活保護を受けていること、次男・野人(ののひと)が手術をした2月の1ヶ月の医療費が1500万円だったことを伝えています。そして「納税者の負担によって支えられている福祉天国――(略)ただ、現在の状態が続いていけば、福祉天国は、いつの日かパンクすることだけはハッキリしているのである……」と結び、暗に「有限である税金を医療・福祉に使い過ぎではないか」と結論付けています。それを受けて渡部の「神聖な義務」は書かれました。


 渡部は、「神聖な義務」の冒頭で西ドイツが急速に復興した一因は「ヒトラーが遺伝的に欠陥のある者たちやジプシーを全部処理しておいてくれたため」だと「ドイツ人の医学生」から聞いた話を紹介します。次に、渡部自身がヨーロッパ旅行の体験談として、ルーブル美術館では「ジプシーの子供」が「まとわりついて離れないので実に不愉快だった」が、「そういうことはドイツやオーストリアに入るとまるでない」と言います。そして、生理学者・医学者のアレキシス・カレルの「劣悪な遺伝子があると自覚した人は、犠牲と克己の精神で自発的にその遺伝子を残さないようにすべきであると強くすすめる」という「自発的断種」の主張を紹介します。さらに、失明を懸念して未熟児を保育器で育てることを断り、またサリドマイドの服用を拒否してサリドマイド児の出生を回避した「知人」の例を挙げて、「かくしてこの人の行為は社会に対して莫大な負担をかけることになることを未然に防いだ」と述べます。それに続く話として、遺伝性疾患の代表例として血友病が取り上げられ、大西親子の話が述べられているのです。直接的な表現こそありませんが、「障害者/病者が生まれることは社会の負担であるから、それを未然に減らすために障害者/病者が生まれないよう、自発的受胎調節をすべきだ」と読めるように書いています。これが渡部の真のメッセージであることは間違いないでしょう。なぜなら、渡部が支持するカレルは、その著書のなかではっきりと「自発的な優生運動」を主張しているからです。

http://www.livingroom.ne.jp/r/jss03.htm