小谷野敦の戦歴
とりあえず、私が知っていることのみまとめてみた。
vs「絶望書店」主人さん
一部では有名なコピペの出典もとです。
「ご用件はなんでしょうか」
「名前を名乗れ」
「お話があるのなら伺いますが」
「名前も名乗らないような奴と話をしたくない」
「それでしたら、お話などしないということで結構ですが」
「いや、そんなことはない。そんなことはない」
発端は、小谷野敦『江戸幻想批判』のなかの「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という記述への批判でした。
2002/9/25 平均寿命23歳
http://www.zetubou.com/nikki/2002/09/25/101.htm
遊女を虐待する人々 1・2
http://www.zetubou.com/nikki/2003/03/08/124.htm
http://www.zetubou.com/nikki/2003/03/10/125.htm
2003/4/17 小谷野敦氏からの電話
http://www.zetubou.com/nikki/2003/04/17/128.htm
2006/3/28 小谷野敦氏よりの削除依頼
http://www.zetubou.com/nikki/2006/03/28/171.htm
vs Macska氏
発端は2005 年のエントリー。
小谷野敦さんによる「はてなキーワード『ジェンダー』項目」の間違い
http://macska.org/index.php?p=105#comment-6177
コメント欄より
小谷野敦 のコメント
2005/09/11 - 07:14:59 -もちろん匿名は認めません。最終的には「死んでしまえ」と言われても仕方がないのが匿名だと考えています。なお雑誌等で匿名批評がある場合は、雑誌の編集人が責任者であり、その住所が記されているわけですから、住所が記されていれば匿名でもいい、ということになります。
なぜ「もちろん」になるのかよくわからないし、今回の件との整合性もわからない。
コメント欄に登場する「トニオ」というのは、よく見かける彼なんだろうなぁ。
このとき、小谷野氏が自blogに総括だか反論を書いていたらしいが、削除されている模様。
その後もいろいろ有るけれど、小谷野氏がmixiとamazonに書いた『バックラッシュ!』のレビューを巡る論戦が始まる。
このとき荻上チキ氏の事を知ったのかな?
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060706/p2
http://macska.org/article/146
vsワイネフ氏
2006年9月30日ミクシィにワイネフ氏が『禁煙ファシズムと戦う』のレビューを書いたのが発端。
ミクシィ内では「小谷野敦」=「源三位入道」が常識であったらしい。 その後に「メリー・ポピンズ」と改名されたらしい。
vs JR東日本
これが訴状らしい
で、どうなったかといえば
JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071222/trl0712220110000-n1.htm
棄却されました。
vs佐藤優&「週刊金曜日」
アエラと週刊金曜日の代理戦争(?)に参戦。 概要としてはこんなところ
http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070511/1178892944
2007-04-26 山田宏と佐藤優 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070426
2007-05-11 佐藤優と「週刊金曜日」に問う http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070511
2007-05-24 言論は死んだ http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070524
2007-05-25 仕方がない http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070525
その他
単著もないのに http://d.hatena.ne.jp/keyword/n%c3%f8%a4%e2%a4?%a4%a4Τ%cb
このフレーズのきっかけは小谷野氏のエントリーだったんだな。 何故か削除されちゃっているけれど。
小谷野氏のネット活動の特徴は「削除が多い」というのが第一印象。
それと「負け続け」というのも感じるなぁ。