小谷野敦の「卑怯」

小谷野敦氏が、まぁ なんちゅうか 暴走中。


荻上チキの正体
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071218


小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20071220/p1



二人は以前から、いろいろと因縁があるようで…
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060706/p2 



荻上チキ氏が『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)』を上梓し、その中でこの騒動について「小谷野さんはぐだぐだ」というように書いたことで、遺恨が再燃したらしい。


この騒動は、途中から観戦してた。
私の観戦記など
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/78/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/82/
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/124/


驚いたのは、小谷野氏のblogの書き換えや削除の多さだった。
「もはや読者諸賢の判断をまつしかない。」と書いた直後に、関連エントリーをざっくり消したのには唖然としたな。
戦術として消したり書き換えたりしているのじゃぁ無さそうなのが、なんちゅうか…イタイ。

私の感覚だと、論争中や後から書き込みを消した方が「卑怯」なのだがなぁ。


大学で教えている人の中には匿名批判が許せないと考える人がいる。 様々な方法で実名を晒そうとするもいる、という教訓がまたひとつ。


2005年にも、大学の先生がAmazonの匿名書評氏に噛みついた事件があった。 印象としては似ているかな。
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/132/
『「若者が馬鹿になっている」という話はよく聞くが、大学教授が馬鹿だからしょうがないか、とも思う。』



訂正(2007/12/26)
小谷野さんはぐだぐだ」  というようにblogで書いていた荻上チキ氏がちくま新書を上梓したので、小谷野敦さんが実名を仄めかすエントリーを書いた、と言うことらしい。


新書の中で、荻上チキさんが小谷野敦さんに言及していた、というわけではないみたい。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070923
 そういえば荻上チキさんがちくま新書を出すようだ。これも、若いなあ。しかし、正体を隠しているチキさん、写真とかプロフィールとか、どうするんだろう。もし正体を隠したまま、写真なし、履歴もなし、ただ「ブロガー」とだけ書いて出したら、「狐」みたいな、活字世界の匿名ということになる。しかし、狐=山村修は、コントラヴァーシャルな議論をしたわけではない。もしチキさんが、履歴も実名も性別も隠したまま、コントラヴァーシャルな議論を始めたら、私はどうしたらいいのだろう。


 その時は、私は敢えて、チキさんの正体を暴かざるをえないだろう。
2007-09-23