ITコラムニスト

歌田明弘氏が新書を出した。

ネットはテレビをどう呑みこむのか? (アスキー新書 016)

ネットはテレビをどう呑みこむのか? (アスキー新書 016)

湯川鶴章氏が指摘しているように、表紙に「ITコラムニスト」と有るのに苦笑。

自身のblog(archive)の紹介によると、週刊アスキー連載に大幅に加筆したものらしい。
http://blog.a-utada.com/chikyu/2007/06/post_ae8a.html

連載を読むかぎりでは、基本的にはネットで公開されている審議会資料を中心に考察を重ねているのだが、取材には熱心ではないという印象。キーパーソンへの取材というのは、連載中にはほとんど無かったようにおもう。 
ここあたりが「ジャーナリスト」から「ITコラムニスト」という肩書きにの変化につながっているように思える。

新書にする時点で、なにか追加されているのだろうか。


執筆分野はいささか違うけれど、佐々木俊尚湯川鶴章などの記者出身者とはかなりスタイルが違う。

かつて歌田氏がジャーナリストと名乗っていたころの回想記より。

 取材の仕事をしようと思ってジャーナリストを名乗ったものの、もともと事実そのものに興味があるわけではなくて、その事実が意味していることに興味があった。だから事実に対する欲望は、インターネットで十分満足させられた。
 年々ものすごい勢いで増えていく情報のありように触れることができるのはおもしろい体験だったし、それに、これからの社会を変えていくなまなましい「現場」は、まさにこのネットの中にあるように見えた。

取材しなきゃジャーナリストではないのかというと、かならずしもそうではないわけだ。

 すでに書いたように、ジャーナリズムというのは、「時事的な問題の報道・解説・批評などを行う活動」なわけだから、すぐれていようがいまいが、ジャーナリズムだ。


2006.06.16 (今ふう)ジャーナリズムとは何か
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_b840.html

この記事は「週刊アスキーの”仮想報道”連載は、”ネットの一次情報”の解説・批評などを行う活動だった」という総括のように思えた。 記者出身者とちがい、インタビューとか取材をほとんどやらず、ネットで公開された情報のみを対象にしているような感じ。「事実そのもの」やキーパーソンと直接会うことを重要視していないのが、印象的だ。 


2006年6月頃から、歌田氏は「ことのは問題」に巻き込まれる事になるのだが、そのときにこのスタイルの弱点が露呈してしまう。
 この件では歌田氏は、「現場」に近い場所にいたにもかかわらず、連載ではネット上の記事のみを考察対象とし、そしてその情報の選択が偏っていたことに、非常に違和感が有った。


それでまぁ、今度の新書についてのことだけれど…
ネットとテレビの「現場」についての考察ではあるのだけれど、筆者の立場はあくまでもモニターやブラウン管(?)の視聴者側にとどまっており、そこから見えた「現場」についての考察に終始しているのではないかなぁ?
公開された審議録にアクセスして論評を加えてはいるが、審議会に参加した人に取材などはしていないようだが…。 審議会の討論の経緯は、ネットから推測するのみで、連載を読んでいるかぎりでは、なんだか隔靴掻痒のもどかしい印象。
加筆部分で補われているのだろうか?


それと、歌田氏の統計・資料の読み方には、かなり疑問を感じることが多い。
最近ではこんなのが有った。

サルコジ新大統領は、移民に厳しい発言を繰り返して辛くも勝利をおさめた。グローバル化にたいする警戒感が強まっている国民感情がこの調査からも見てとれる。
http://blog.a-utada.com/chikyu/2007/06/post_3e64.html

サルコジ氏の得票率は53.06%、ロワイヤル氏が46.94%のどこが「辛くも」なのだ? それとサルコジ勝利を「グローバル化にたいする警戒感」と見るのにも疑問が。

おそらくイラク邦人人質事件以来、世界の右傾化を強く憂えているのだろうけれど、数字や資料はちゃんと読んで欲しいものだなぁ。


この新書を読むかどうかは、ちょっと微妙かなぁ…