中沢新一と網野善彦

芸術人類学に収録の「友愛の歴史学のために」を読む。 2004年11月27日の神奈川大学主催の講演に加筆修正されたもので、内容は僕の叔父さんと共通しているが、自身の「対称性人類学」の解説にもなっている。


網野史学ってこうだったっけ?? という疑問がものすごく湧いてくる。
私にとっての網野善彦は、様々な資料を丹念に読み解いていった、実証的な作業や検証をする歴史学者という印象なのだが、なんだか違う学者の話を聞いているみたいだ。

それは網野史学の最大の武器である「職人」の概念が、歴史学的な実証性を超えたところで、本当はいったいなにを語ろうとしていたのかというところにかかわっています。「職人」という歴史学的にはすでにはっきりしている概念を使用しながら、網野さんが「そのビジョンにおいては」本当はなにを語ろうとしていたのか、史論として建設されたものばかりに目を奪われるのではなく、建築物を支え生み出している、創造における女性的な影の空間の働きを、あきらかにしておく必要があります。(p337)

網野善彦のビジョンかぁ…… 
甥ということで、様々なエピソードを交えて語っているけれども、網野善彦のビジョンというより中沢新一のフィルターを通して見えたビジョンではないのか?


そもそも中沢新一の語る網野史観というのは、「対称性人類学」的に再構成されたものだ。
講演を元にしているせいか、「農業民と非農業民」という話になっているけれど、そこまで単純化した史学ではなかったはず。 講演では都市論・貨幣論にまで話が広がっているが…

中世に出現する無縁とも公界とも楽とも呼ばれるさまざまな自由空間を検討したあとで、網野さんはそれらがすべて「原始・未開」以来の「源無縁」の原理の、中世的な表現形態なのだと書きました。「原始・未開」という野性的な言い方をしてしまったばかりに歴史学者ばかりか人類学者からも、そんなものは実在したことがない、という批判を浴びせられてしまいました。しかし、これまで私の話を聞いてくださったみなさまにはもうよくご理解いただけていると思うのですが、そこで網野さんが「原始・未開」といっていたのは、歴史的な実在のことではなく、人類の思考に潜在的なある原理のことにほかならないのだと思います。(p371)

これでは網野善彦が「実証性」や「歴史的な実在」にはこだわらない、と開き直っていたように感じられる。
晩年の網野氏の思想についてはよくわからないけれど、これにはちょっと違和感。
普遍的な原理が有るかどうかというよりも、違う原理が有ったのではないか、という問いかけをしたのが網野史学ではないのか?
「人類の思考に潜在的なある原理」というのは、中沢新一が追求しているものであるだろうけれど、それは網野善彦が追求していたものとはズレが有るだろう。