オウムの教義・世界観

サイレント・ネイビーの書評をあれこれ読むと、「一連のオウム本と違い…」というフレーズを、けっこう見かける。
いわゆるオウム本というのは、私はほとんど読んでいなかった。 ワイドショーもそれほど見ていなかった。 


有名どころのオウマーのサイトは、時々は目を通していたが、それでお腹いっぱいだった。
論争とか抗争までは追いかけてはいなかったなぁ。
専門用語とか教義も、あんまり詳しくはない。


ひところ世間では、リアルの大臣よりもオウムの大臣の方が知名度が有るような状態だったけれど、私はホリーネームと実名が、いまだになかなか一致しない。 どこか、ホリーネームを覚えるのに抵抗があるのだろうな。 元ネタになった仏典の人物を冒涜してるような気分になるから。



林郁夫の「オウムと私 (文春文庫)」や、早川紀代秀の「私にとってオウムとは何だったのか」を読んで、やっと教義や世界観の概要が掴めた気がする。


自白強要の「ナルコ」、記憶消去のための「ニューナルコ」、麻原の脳波を信者の頭部に流すパーフェクト・サーベーション・イニシエーションは、それぞれ別の物かと思っていた。
オウムの教義では、これらの一連のイニシエーションは、頭の中のデータを操作するという発想から編み出されたモノなんだな。 脳内データは 読み 消し 書き換えられる ものとして考えられていたのだなぁと、いまさらながら得心した。


オウマーには常識というか基本なんだろうけど