史学の基本のこととか

内藤湖南宮崎市定竹内好 は、もはや読まれていないのだろうな、などと思ったりする、今日この頃。


finalventさんの
ちょっとだけ 
経由で

日本が特定アジアと分かり合えない最大の理由は宗教観である。|おはら汁(緊急避難場所) 

を見に行った。 ぶくまが200以上かぁ…  ヤレヤレ



それで、関連して思い出したこと。 書いた人が休養中(?)なので、書きかけのままにしてたけど…


絵文録ことのは】稚拙な印象操作を駆使する記事には、「一次情報」に当たることが重要
http://www.kotono8.com/2007/02/20originality.html


ネット論としては「ごもっとも」という感じではあるのだけれど…

 クリエイティブ・コモンズも、他者の創作に対して最大限の敬意を払いつつ、それを生かして新たな創作物を作るにはどうしたらいいか、という発想が原点にある。アールヌーヴォーは日本の浮世絵から多大な影響を受けた。日本の国風文化は、その前に唐の文化を受容した上で、それを消化吸収して作り上げられたものである。オリジナリティとは、言い換えれば、いかに「消化吸収」して自らの血肉として取り入れたかということではないか。いかに取り入れたものを「昇華」していくかが問題ではないのか。


これに関しては愛蔵太さんからのツッコミが、既にあるけれども。


× アールヌーヴォーは日本の浮世絵から多大な影響を受けた。
○ 印象派絵画は日本の浮世絵から多大な影響を受けた。

日本の国風文化は、その前に唐の文化を受容した上で、それを消化吸収して作り上げられたものである。

ちょっと、う〜む と唸ってしまう。 国風文化と遣唐使の関係は、ちょっと時代が離れてて適切な例でもないし、内容にも議論の余地が多々ある。
こうサラっと書かれても、困惑してしまう。


「日本は、西洋のパンと饅頭を習合させてアンパンを作り出した」とか「インドのヒンズー教徒は牛を食わないのに、なぜか日本には『インド風ビーフカレー』がある」とか「イタリアのパスタが、日本では納豆・たらこ・野沢菜スパゲッティに変容した」とか「寿司がアメリカに渡って、カリフォルニア巻きとかアボガド巻きが出来た」等の、穏当な定番の例を出しておけばいいのに、と思う。


他のエントリーとか河上イチロー時代に書いてたような、歴史のエピソードの細かいネタは確かに面白かったけれど、どうも基本的な部分で、かなりの違和感というか、怪しすぎることをさも定説のように断言していた、という印象がある。


河上イチローのサイトは細かい引っかかりを感じることが多くて、さらっと読み通せなかった。 読んでいると頭の中にハテナマークが点滅したり、突っ込みたくなったりして、私にとっては、読むのに時間がかかり疲れるサイトだった。
(だから、たまにしか見に行かなかったなぁ)