オウムのマスコミ対策(攻撃)など  裁判記録より

麻原公判 第25回 岡崎一明証人 検察官主尋問(97・2・13)


検 マスコミに、教団として何かしようと言うことはなかったのか。
― 平成元年10月上旬から中旬にかけて、上祐・杉浦実と私が麻原の命令で、サンデー毎日の編集部へ行って「連載の中止と謝罪文の掲載」を要求・交渉をしました。
検 連載とは。
― 10月2日発売のサンデー毎日に、オウムを誹謗する記事が載っており、第1弾としてあったので連載されると思った。
検 その記事を読んだのか。
― 発売当日、道場で読んだ。それ以降は自分で買って読んでいる。
検 新聞や雑誌を買うことが出来たの。
― 選挙運動で、党員獲得や選挙アピールの責任者だったので外出する機会が多く、買うことが出来た。
検 交渉の結果は。
― 編集部に行き編集長代理と交渉したが、結果は決裂でしたのでビラを作って撒きました。
検 ほかに指示はあったか。
― 毎日新聞社爆破の検討を指示された。サティアン4階の会議室に麻原・村井・早川と私の4人で集まり相談しました。麻原は「サンデー毎日毎日新聞社の4階にある。毎日新聞社に打撃を与えるのが効果的だ」と言った。村井は「トラックに爆弾を積んで、ビルの地下駐車場で爆発させれば効果がある」と言っていた。
  私と早川は麻原に「地下に車が入れるかどうか調べてこい」と下見を指示されました。その日か次の日に下見に行きましたが、チェックが厳しいので入れませんでした。麻原には早川が報告しました。村井は「爆弾が作れない」と言い、計画は消滅しました。麻原の指示かどうかはわかりません。
検 テレビ番組については。
― TBSの番組を潰すという話があり、麻原が上祐・早川に指示していた。後はよく知りません。
検 マスコミのオウム批判と坂本弁護士のつながりは。
― マスコミの報道は、被害者の会からリークされていると思いました。
検 そのことが、坂本事件の原因のひとつと思うか。
― はい、そう思います。
検 7年以上前の事件を、はじめから終わりまで、かなりよく記憶しているが。
― 事件から3ヶ月たってオウムから脱走し、脱会しました。それから6年の間、忘れようにも忘れられない事件だったからです。
検 事件について、今どう思っているか。
― あってはならない大事件。重大事件だと思っています。


麻原公判 第43回 岡崎一明 反対尋問(97・7・3)

弁 89年10月初め、サンデー毎日の連載が始まったが?
― 表紙に『タブーに挑戦』とあったので、宗教に対する挑戦と受け止めた。わざと誹謗中傷していると。血のイニシェーションについても、深い宗教の意味合いを理解しないで掲載されると思った。
弁 他の幹部は?
― 私と同じく思っていたと思う。
  道場の会議室で、編集の者と他の幹部が麻原と話をした。自分の記憶では、サンデー毎日の編集長は誰か・これからどれくらい連載されるか・サンデー毎日は過去に宗教を誹謗中傷したことがあったか。等話し合った。
  男性信者が「サンデー毎日は、イエスの箱舟を連載したことがある。連載は長くなるのでは?」と言っていた。イエスの箱舟の記事は、私が静岡市の県立図書館へ行って調べ、麻原に報告した。
弁 連載はどんな影響があると思った?
― たぶん、在家信徒が動揺する。オウム出版の書籍売上が激減するのではという懸念を持った。
弁 第1弾掲載後、幹部会で話題になった?
― 私と上祐らで、直接サンデー毎日に抗議し、謝罪文の掲載と連載の中止を申し入れるよう言われた。
弁 サンデー毎日の誰と会った?
― 編集長に会う目的だったが不在で、代わりの人が対応した。連載ストップと謝罪文の掲載を強く申し入れた。編集長がいるはずだから出せ。とも言った。
弁 サンデー毎日の対応は?
― 受け入れる姿勢は全くなく、決裂した。
弁 次に、教団としての行動は?
― 10月半ば頃と思うが、上祐と私ら多分4人と思うが、牧太郎編集長の自宅までいった。
弁 毎日新聞社の地下まで行った時との前後関係は?
― 爆弾の話は後のことと思う。
弁 牧さんの自宅訪問の経緯は?
― 麻原から「直接自宅へ行けば会えるだろう。そこで抗議と連載中止を申し入れろ」と言われた。しかし、牧太郎の自宅を訪問したものの、不在で諦めて帰った。
弁 グルの指示で行って、どうして夜まで待たなかった。
― ……………。
  (岡崎が返答に苦しむ機会を捕らえ、麻原がわけのわからないことを言い出す。岡崎は、それを抑えるように声を張り上げて)
― 記憶にありません。
弁 何故果たせなかったのか。
― 麻原に電話をした。『待て』と言われたから待った。しかし、不在の場合どうしろと言う指示は受けていなかった。
  (検察官の抗議「『思い出せないという証言ですので』と割って入る」)
裁判長 そう言うことですから。
弁 思い出せないのか。
― 早川から「今、牧太郎をつけている。『帰宅途中を襲ってキリか針で後ろから突いてやれ』と、グルが言っているんですけど、どう思いますか。『巧く眠らせる方法がないかとも言っているんですけどねえ』」などと聞かされた。
  (それに、かぶせるように麻原が大声で『俺は、アサハラショウコウだ。聞えるか』)
弁 尋問を終ります。


麻原公判 第32回 サンデー毎日広岩証言(97・3・28)

検 週刊誌の00日号という呼び方と発行日の関係は?
― 日付号の2週間前に発行する。第1弾の10月15日号の発行は10月2日であり、麻原が編集部に抗議に来たのは10月2日午後1時頃であった。突然5〜6名の信者を連れてドカドカと入ってきた。編集長の牧太郎と私が対応した。
検 それで?
― 『事実に反する』と言うことだった。取材の趣旨と内容を話し、出家者の話をしているときはおとなしく聞いていたが、未成年の出家の話になると突然怒り出した。自分に都合が悪い話になると怒り出すと言う2面性を感じた。かなり攻撃的な性格の持ち主と感じた。
検 抗議はそれだけだった?
― 宣伝車・チラシ等を使ってサンデー毎日を誹謗した。また、上祐が内容証明の郵便で文書を送りつけてきた。
検 宣伝車は1回だけ?
― 毎日新聞社ビル前に、連日押しかけて来た。近くの学校から苦情が出るほどだった。10月25日位まで続いたと思う。
検 その他の抗議は?
― 10月11日、上祐が大勢の信者を連れて押しかけてきた。
検 何故10月11日だったの?
― 特集の第2弾発行直後だった。傲慢な態度でビデオカメラを回している信者も居た。編集室内で混乱を起こされては不味いと思い部屋の入り口で押さえて、地下の会議室で会った。
検 そうした時期に行った抗議の内容は何であったか?
― お布施は妥当な額である・未成年の出家は親の承諾を受けている・親の話だけでなく子供の話も聞け・など等、勝手な言い分を並べていた。


麻原公判 第37回 サンデー毎日広岩反対尋問(97・5・22)

弁 連載の第1弾発売日に、麻原さんがサンデー毎日に行って抗議しているね。
― 教祖他3名くらいで抗議に来た。
弁 抗議の内容は。
― 麻原は、『子供や親の言うことだけでなく、俺の言うことも聞け』といろいろなことをとうとうと言っていた。
  お布施の問題では『お布施はいくらなら良いのか』と怒鳴り出した。
弁 麻原さんと始めて会って、第一印象は?
― 教祖といった感じはしなかった。親方・親分といった印象だった。自分の言いたいことを言っているときは温和な表情をしているが、不都合な質問には突如として激しい口調に変わる。このような態度から、攻撃的性格の持ち主、と判断した。
弁 始め会って、話し合い・取材のチャンスだったのでは?
― そう望んだ。だが、何をいっても話しにならなかった。
弁 どうして。
― ?問答無用?の態度であり、全く接点を見出せなかった。
弁 これまでの疑問点も質せなかったの?
― 新しい疑問端もあったが、それを質せる状態ではなかった。
弁 新しい疑問とは?
― 脱会する場合は1日1万円の罰金を取っていた。不足金は借金として脱会後払わせていることについて聞きたかった。
弁 第2弾を出した後、10月12日に上祐さんが抗議に来たとき、事前に連絡があったか。
― 突然来たと思う。
弁 麻原さんや早川さんもいたか。全部で何人だったか?
― 麻原教祖はいない。早川がいたかどうかわからない。人数は7〜8人くらいだと思う。
弁 その時の様子を、主尋問で『傍若無人だった』と言ったが?
― 7〜8人で押しかけてきて、9階の廊下でビデオカメラを回しながら『編集長に会わせろ』と怒鳴りまわした。
弁 ビデオで撮られると都合が悪いのか。
― 編集室は一般的に非公開です。
弁 抗議の形態は?
― 上祐が記事の内容が間違っていると言った抗議を細々と言っていた。また、社屋内や周辺にビラを撒き、外宣車を使っていた。
弁 そうした抗議に対し、オウムに抗議をしたか。
― 抗議した記憶は無い。

(略)

弁 10月12日の上祐さんたちが抗議に来たときのことに戻るが、このとき岡崎一明さんは居たか。
― 居たと記憶している。
弁 岡崎さんが、何か言ったか
― 9階の廊下でカメラを回しながら「編集長に会わせろ」と言っていた。
弁 あなたは撮影を止めさせようとしたか。
― 「撮影は止めろ」と言った記憶は無い。
弁 誰が応対に当ったのか。
― 主に私が応対した。
弁 オウム側はどのような抗議をしたか。
― 「親たちは一方的なことを言っている」「元信者は出来の悪い信者だ」出家制度についても言っていたが、内容については記憶が無い。いろいろ言ていたが、主に「血のイニシェーションの記事は一方的だ」との抗議だったと思う。


麻原公判 第32回 紺谷(元信者)証言(97・3・28)


検 脱会の動機は?
― 効果の無い修行に金ばかりかかるのに嫌気がさして脱会することを決めた。
検 雑誌記者に連絡をとったことがあるか。
― サンデー毎日にオウム告発の記事が載ったのを見て、オウムを批判したくなって連絡をした。
検 それで取材があったの?
― 広岩記者が取材に来て、10月中旬発売の(第4弾11月5日号)で記事になった。
検 記事の内容に間違いはなかったか。
― 記事には私の話と違うところがあった。話し方が悪かったか、聞き方が悪かったかは判らないが、違うところがある。
検 どんなところが違うのか。
― オウムをやめた理由が違っている。
検 どう違うの?
― 遺言状のことは、出家を止めた理由の一つだった。それがオウムを止めたた理由となっていた。
検 その他のマスコミの取材はあったか?
― フジテレビ・テレビ朝日などの録画取材もあったが、オウムの仕返しが怖くて後ろ姿で録画に応じることにした。
検 マスコミ報道があったことで、何か問題は起こらなかったか。
― 10月20日テレビ朝日の放送があった直後、上祐・大内早苗他信徒5〜6名がアパートを襲って来た。
検 どういう状況だったのか。
― その場で言い争いをしたら、アパートの人に迷惑がかかると思い外に出た。
検 上祐たちはなんと言っていた。
― 「雑誌やテレビに話した事に間違いがある。謝罪して訂正しなければならない。教団が代わって謝罪訂正をするから謝罪交渉依頼状を書け」と迫られた。
検 その時、上祐たちの態度は?
― 恐ろしかった。停めてあった車の中に押し込まれ、両側から抑えられて、恐ろしくなって謝罪交渉依頼状を書いた。
検 文面の内容は?
― 私の受けたイニシェーションは、血のイニシェーションで無く、シャクティバットだった・信者暦の3年は嘘で、脱会していた期間を除くと1年弱であった・ビラ10万枚は教団の意思ではない。教団の意思と言ったが、一部の幹部の意思であった。と上祐の言うままに書かされた。
検 その依頼状に署名をしたか。
― 署名をした。


麻原公判 第38回 元信者紺谷反対尋問〔2〕(97・5・23)

弁 金沢へ帰ったのは何時か
― 平成4年11月頃に帰った。
弁 テレビ朝日に出演した晩、サンデ―毎日の広岩記者と会っているね?
― 一寸、記憶に無い。
弁 広岩記者から「血のイニシェーションで払った100万円取り戻せるかもしれない。坂本弁護士に会ってみないか」と言われたね。
― はい。
弁 それで、平成元年11月1日に坂本弁護士を訪ねたの?
― はい。
弁 最初に坂本弁護士に会うとき、あなたのほうから連絡したのか。
― 私のほうから電話をした。
弁 広岩記者の照会があって電話をしたの?
― 広岩さんに坂本弁護士の連絡先を聞いていたので電話をした。
弁 坂本弁護士はあなたのことを知っていたか。
― 知っていたと思う。
弁 広岩さんから紹介があったと言っていたか。
― それは?言っていたかどうか、判らなからない?
弁 広岩さんを知ったのは何時か?
― サンデー毎日の取材を受けた時に会って知った。
弁 広岩さんから取材の趣旨を説明されたか。
― 説明されてと思うが、覚えていない。
弁 その取材されたことが記事になったか。
― 第2弾で記事になったが、言った事と記事に違いがあるのは心外だ。
弁 違いがある点は何か。
― 大内早苗に「オウムをやめると地獄に落ちる」と脅かされたことが記事になっていない。遺言状は出家を見合わせた理由なのに、脱会の理由としている。購入したビラの枚数4万5千枚を10万枚としている。
弁 フジテレビにも出演しているね。
― 広岩さんから話があったから出演した。サンデー毎日の第1弾で揉めているときなので、マスコミに出演したのは不味かったと思った。危険が増すと感じた。
弁 危険と感じるようなことがあったの?
― 脱会後、平成元年10月20日(テレビ放映後)上祐ら5人がアパートへ押しかけてきた。
弁 上祐さんたちは、何のために押しかけてきたのか?
― 記事の訂正交渉依頼状を書かされた。
弁 アパートの中で?
― 部屋の中では危ないと思い、人目につく外へ出た。二人の男に両腕を抑えられ、上祐らが乗ってきた乗用車の後部座席に座らせられた。運転手も乗っていた。
弁 そこで訂正交渉依頼状を書かされたの?
― はい。書かないと拉致されると思い、怖くなって書いた。
弁 どんな内容で書かされたの?
― 訂正内容は「サンデー毎日の記事は間違っている。シャクティパット以外のイニシェーションは受けていない。信者暦が違う。ビラ10万枚の決まりは無い。献金と幹部昇進は無関係」等だった。
弁 広岩記者から「血のイニシェーションで払った100万円が取り戻せるかも知らない。坂本弁護士に会ってみないか」と言われたね?
― はい。
弁 それで、11月1日に坂本弁護士を訪ねた?
― はい。




坂本事件とオウム裁判 より
http://www005.upp.so-net.ne.jp/satoko-kikin/saiban.html