どこの星のジャーナリズムの話か?

切り込み隊長経由でプロレス観戦。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/07/post_81f3.html


「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070712/129746/


■[趣味のジャーナリズム]武田徹こそ史上最強のジャーナリスト
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20070717/1184693877


つまらん。 武田徹氏のヘタくそな釣りにうんざり。


それにしても、武田徹氏は何処へ逝こうとしているのだ?
力を入れて書いた新書の評判がイマイチなのに、そのアイロニカルでズレた立場のまま暴走しているように見える。

 こうした報道のリアリティを無視して「ジャーナリズムは事実報道に徹せよ」と主張するのは、現場を知らない人間が、机上の空論を振り回しているに過ぎない。ジャーナリズムが本当に完璧に裏の取れた事実だけしか報じないようになったら、社会は相当に危険な状況に陥るだろう。

批判者はだれもそんなことは要求していないと思うし、どういう「危険な状況に陥る」のかもわからない。 ヘタな煽りのような気もする…というか、彼とは問題意識がすれているのだろうな。
タイトルが『「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ』なので、武田氏が考える「ジャーナリズム」が「敵」の攻撃のため衰退してしまう 。だから危険な状況になる、ということなのだろうけども、やはり分からない。
視聴率がとれなくなって、いくつかのマスコミ企業が潰れるということなのだろうかなぁ?


ライブドア楽天が放送局経営に関与したがっている(いた)事に関して、それは「危機」だと叫んでいた人がいたように思うが、それと似たような匂いを感じたりもする。 一企業の危機や個人の雇用問題を、ジャーナリズムの危機として論じたようなうさんくささとでもいうか。



この後はジャーナリズムの話なのに、なぜが釣りのドキュメンタリー番組の演出が例に出てくるが、理解不能だ。
現在の報道バラエティ番組は、釣り番組と同質で同等の機能しかない、というアイロニーなのかな?

 今野(勉)がそこで強調しているのは、この種の「演出」の背景には共に感動を求める「見る側」と「作り手」の共犯構造があるということだ。確かに「演出」なしに、ただカメラを回して撮られた映像は紛れもない事実の表出であってもそれを視聴者は見たいとは思わないだろうし、見続けることもできまい。そこで多くの視聴者に見てもらえる番組作りを心掛けて作り手は演出に手を染めることになる。しかし、ならばそうした「演出」はどこまで許されるかというと、線引きは難しい。

この連載はどういう立ち位置で、誰に向かって書いているのだろうか?
武田氏は、ジャーナリズムの中の人として書いているはずだから、身内の不祥事の責任の一端を視聴者側に押しつけているように見えなくもない。
「見る側」と「作り手」の共犯構造をもちだすことで、報道の過剰・捏造「演出」の原因は見る側にも有る、と責任転嫁しているような不快感があるなぁwww


この記事は「ジャーナリズム業界の自己弁護と責任転嫁と開き直り」と読まれるのだろう。
自業自得だとは思うが。


【参考】
【書評】「NHK問題」武田 徹 著
http://londonbridge.blog.shinobi.jp/Entry/332/