様式になっているような
ネットの一部で今起きていることは、退屈な茶番である。
二度と使えない手を使い、上目遣いに廻りの反応を眺めている。
黒崎夜話 http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/34320943.html
これまで何度もやってきたことの繰り返しじゃないかな。
- 最初は「出家」だろうか。
- 「河上イチロー」を、いったんは捨てた。
- 「半跏思惟」も閉鎖
- 2006年12月28日 手記のコーナーも閉鎖。(正確には「グループの停止」)
- 2007年02月17日 Wikipediaの編集合戦をへて項目の削除
出版社時代の様々なこと、雑誌の廃刊なども含まれるのかな。
「自分でまいた種だから仕方ないんじゃないでしょうか」
「法則通りだと思います」
というのは、裁判の証言の中に出てくる松本知子の言葉だ。
Der Angriffで公安調査庁の流出(?)資料を公開したり、「サイバースペースからの挑戦状」で実名公表の危険性を書いていた人が、自分自身の言葉・行動に逆襲されている、というところなのだろう。
ことのは問題の最初の頃は「人生いろいろ」だと思っていたが、昨年末あたりからは「退屈な茶番」と感じてきたなぁ。