ビジネスの話じゃないの?「サイバージャーナリズム論」
購入してはみたが、「ネット通」の人には既知の事ばかり。 「新書」という形だと、こんなモノかとも思う。
サイバージャーナリズム論 「それから」のマスメディア (ソフトバンク新書)
- 作者: 歌川令三,湯川鶴章,佐々木俊尚,森健,スポンタ中村
- 出版社/メーカー: ソフトバンク クリエイティブ
- 発売日: 2007/07/18
- メディア: 新書
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- 新聞ビジネス崩壊の予兆:歌川 令三氏
- 「プロの記事」はブログより価値があるか?:湯川 鶴章氏
- テレビ局をめぐる大いなる幻想:佐々木 俊尚氏
- グーグルにあらずんば情報にあらず:森 健氏
- ウェブがもたらす「偏向」と「格差」:森 健氏
- メディアとはコミュニティである:湯川 鶴章氏
- 誰もがジャーナリストになれる?
- ジャーナリストとは"お偉方"の独占的称号ではない:スポンタ中村氏
- ブロガー即ジャーナリストにあらず:森 健氏
- ジャーナリストの「それから」を論ず-- 中村vs森(司会:歌川)
- 「ネット」はいいこと尽くめではない:歌川 令三氏
- 「知」の共同体とジャーナリズムの「それから」:歌川 令三氏
- 公文俊平氏との対話
全部で279ページ、1〜6章の206ページ、つまり全体の7割強がジャーナリズム商売の話だ。 残りの3割弱がジャーナリズム論。
1〜3章は、新聞やテレビのビジネスモデルは曲がり角に来ているという話。
4〜6章はネットの現状についてのトピックと解説。
7章以下は、それらを踏まえてのジャーナリズム論なのだが……新時代のジャーナリズム・ビジネスモデルの行方を論じた方が、本の構成としてはすっきりしたのじゃないのか? かなりちぐはぐな印象。
7章:噛みあっていない、8章:古い、9章:机上の空論…という感想だったな。
5章の森氏も、最後にいきなり「世論」の話に飛ぶのはいかがなものか。 小社会の意志決定とか、企業内の派閥の話あたりを論じてから、社会や政治の考察したほうがいいと思うぞ。
ホリエモンの呪い?
みんな江川昭子氏による堀江貴文社長(当時)インタビュー記事に引きずられ過ぎではないのか?
「新聞・テレビを殺します」 〜ライブドアのメディア戦略:2005年02月10日
http://www.egawashoko.com/c006/000119.htmlライブドアは、「市民記者」を募集し、自らのサイトのニュースに自前の記事を載せ始めている。その規模を拡大し、既存メディアの情報も取り込みつつ、ニュースサイトを充実させていくつもりだという。そして、新聞を発行し、そこでアクセス数が多い記事を紙面に載せていく。人気のある記事は大きく扱い、そうでないものは載らない。その扱いは、もっぱらサイトの読者の人気ランキングにより、新聞社の価値判断は一切入れない。
「人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけ」
そうなれば、確かに新聞社の意図的な情報操作はできなくなる。その一方で、埋もれていた記事の発掘、少数者の声などは表に出てこない。が、堀江氏は「いいじゃないですか、それで。そういうもんじゃないですか、情報って」「読者の関心が低いゴミみたいな記事を無理矢理載せたってしょうがない」と頓着しない。
ここあたりの発言に多くの論者が釣られたママに、グーグルなどを論じているような気がする。
そういうビジネスモデルが実際にはどういうモノになるのか? 可能なのか? が論じられないままに、「ネットがそうなると大変だ」という話になっている。
そもそも、テレビの視聴率至上主義で報道番組がバラエティー化したことや、夕刊紙や週刊誌が刺激的な見出しで売ろうとするのと、どう違うのだ??
プロの評論家vsブロガー
第2章、4・5・6章はネットについての、初心者向け解説に終始している。 アメリカの事例、欧米のネット理論の紹介ばかりで、日本のネットの現状分析は何にも無し。
第2章『「プロの記事」はブログより価値があるか?』で湯川氏は2004年のラザーゲート事件に多くの紙面を割いている。 アメリカのプロのジャーナリスト対ブロガーの戦いで、プロは敗北した。 では日本ではどうなっているのか?という考察にはいると思ったら、「日本にジャーナリスティックなブログが少ないわけ」という単なる印象を元にした感想文が続く。
2006年2月の永田議員による堀江メール事件で、当初ネットは塗り潰された文字の解析に熱中してた。 ラザーゲート事件が日本のネット文化に、確実に影響を与えている事例なのに、まったく言及無し。
プロの評論家vsブロガーということならば、2005年4月のJR福知山線、尼崎の脱線事故を巡る話もある。
技術評論家の桜井淳氏は、当時テレビで引っ張りだこで、ネットにも盛んに情報発信していた。 しかし、現在ネットでの活動は休止中。 これをどう捉えるべきなのか?*1
- 桜井 淳の新・市民的危機管理入門(現在の公式サイト、2007年8月20日現在で閲覧不可能)http://citizen-science.cocolog-nifty.com/
- 市民的危機管理入門 (閉鎖済み)http://www.smn.co.jp/JPN/security/
- 桜井淳 発言研究まとめ@Wiki http://www3.atwiki.jp/saku_saku/pages/1.html
- Aquarian氏の「言い過ぎだよ、桜井淳」 http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2006/12/post_18d4.html
- 同blog、Aquarian's Memorandum の「桜井淳批評」カテゴリーとか http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/cat6948025/index.html
2006年9月のローマ法王ベネディクト16世の「失言」騒動では、新聞・テレビはまったくアテにならなかった。
原文・翻訳・解説はネットの方が遙かに有益な情報があった。 宗教と政治問題に詳しいプロのジャーナリストは何処にいたのだろうか?
そもそも第2章で論じられている「ジャーナリスティックなブログ」とは、具体的に何を指しているのか分からない。
分野によっては、マスコミに露出している「プロ」よりも詳しい「中の人」がネットで発言していたりする。
アメリカに比べて政治を論じるブロガーが少ないというならば、「ネット右翼」などが話題になるはずもないのではないか? blog選挙とかネット選挙という言葉もあったはずだが??
がんだるふ氏の戦略
湯川氏は「日本にジャーナリスティックなブログが少ないわけ」と書く。
ひょっとして湯川氏が見ている「ネットvsマスコミ」事件というのは、がんだるふ氏絡みの「非政治」的なことでしかないのじゃないか?
がんだるふ氏については佐々木俊尚氏が「フラット革命」第一章で言及している。(参照) http://d.hatena.ne.jp/LondonBridge/20070810/1186694109
佐々木氏の書き方だと「文章の力だけでネットを動かした人物」みたいだ。 しかし実際には様々な戦術*2で運動を盛り上げていたのだが、そこあたりはまるで無視されている。 がんだるふ氏は、あくまでも「誰が言ったかよりも、何を言ったか」の範囲内での活動でネットを動かした「ネット界希望の星」みたいなに書かれていた。
第5章『ウェブがもたらす「偏向」と「格差」』で森健氏はコミュニケーション理論の紹介をしている。その理論を日本のネット事件に応用して分析すればいいのに、と思ったな。
特にがんだるふ氏が関わったと思われる事件*3が、どうやってネットに広まって議論されて「リアル」に現れてきたのか、その経緯はとても興味深いものだろうに。
少なくとも『2006年夏に「靖国参拝」をグーグル検索したら、参拝賛成のサイトが検索結果上位を占めた=日本の右傾化が懸念される』なんてヨタ話を書くよりも面白いと思う。*4
書かれなかった事
第1〜6章で日本の新聞社・テレビ局とネットの関係を考察しているが、もうひとつ章を付け加えるべきだったと思う。
本書の前半部は新聞社・テレビ局のネット戦略が、ネット原住民(?)には違和感のあるモノでしかない、そこに米国発のweb2.0の波が押し寄せてきた…というストーリーになっている。
しかし新聞各社はネットに及び腰ではあったけれど、それなりにニュースをネットで配信していた。 記事の読み比べが簡単になったことは、かなり重要な事件だ。
そのほか、出版社のネット進出とか、ポータル戦争とか、日本の掲示板文化の話、匿名が主流になった経緯などなど、ことごとく無視されている。
アメリカでblogが注目された経緯と同じくらいのページ数を使って、2ちゃんねるの考察もするべきだろうに、それも無し。
ジャーナリズムの話に絞ってみても、MSNジャーナルの果たした役割くらいは言及してもいいのじゃないか? 田中宇氏が編集長だったはずだが、彼の海外ニュースサイトをソースにする方法は当時は新鮮・画期的だったし、田口ランディという「スター」も発掘したのだから。
ビデオジャーナリストという言葉が生まれたのは2000年頃だったか? 新聞・雑誌・テレビ以外の新しいメディアとしてネットを活用しようという流れは、相当に初期から日本にもあったのだが、のきなみ無視されてるなぁ。
第6章の湯川氏によるマイスペースやセカンドライフのありきたりの説明なんか、全くの蛇足だ。 他に書くべき事は有るはずなのに。
「逃げた」メイン執筆者たち
率直に言えば、なぜ第7章にスポンタ中村氏が呼ばれたのか、疑問が多々ある。
1〜6章までの流れからすると、この章は日本の新しいネットジャーナリストの動きとその課題を、ビジネスモデルも含めて考察する章になるはずではないのか?
だから、当然janjanとかライブドアPJ、オーマイニュースなど現在も継続中のネットジャーナリズムサイトの考察や評価がなされなければならないはずだが、メイン執筆者たちがそれを書かずに「逃げた」という印象だ。
元ライブドアPJ記者スポンタ中村氏に既存のネットジャーナリズム批判をさせておいて、メイン執筆者達は安全地帯で「そもそもジャーナリストとは」と語る構図だな。
「クッキー」かぁ
第8章『「ネット」はいいこと尽くめではない』は全体のまとめなんだろうけど、なんか20世紀に書かれたモノみたいだ。
「クッキーは洗練されたプライバシーの侵害ではないか」…かぁ。 ものすごく懐かしい議論だ。 エシュロンの脅威が懸念されていたころを思い出すなぁ。
On the Internet, nobody knows you're a dog? (池田信夫 blog)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/5be641428ff9cf5bd8df086786b4f8b0
これも関連するかな。同じく池田信夫 blogより「記号と事件」
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1b19aa901c4201ad6e0f9e30ae42ec47
お布施の経済学
最終章は公文俊平氏と歌川令三氏との対話。
公文 そう。労働価値説や市場原理に変わって、「知の共同体」では”お布施の経済学”が主流になるのです。
と本書は締めくくられている。
1〜6章までに、ネット時代のジャーナリズムはどのようなビジネスモデルになるのかと、さんざん書いておいて最後がこれだからなぁ (苦笑)
アンカテさんの『 「世の中は厳しい」なんて大嘘』 関連の議論との温度差が凄いかも
「ネット通」じゃない人には、1〜6章までの業界の動きのまとめは、それなりに参考にはなるだろう。
それ以降の章は、ネットを巡回してりゃぁ、読む必要ないと思う。
「ネットは感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、ネットのチカラを。サイバージャーナリスト宣言。」